監督生、購買部でバイトはじめたってよ
※4章までのネタバレあり※女監督生夢主
ナイトレイブンカレッジに入学することになってはや数か月が経った。
一応わたしとグリムは衣食住が保障されている身の上であるので、生活費と称した金銭を学園長からいただいて生活している。これはグリムの分も含めてわたしが管理を任されているのだが、グリムの食欲というのは体の大きさに反して非常に旺盛で(エースやデュースと張り合うくらいには食べる。落ちてる魔法石も食べるほどだ)、学園長にいただいた生活費ではまかないきれないタイミングがまれにやってくる。そういうときはわたしがちょっと食べる量を控えめにしたり、逆にグリムになんとか辛抱してもらって融通するようにしていた。文房具などの消耗品がなくなるタイミングが重なると本当に悲惨で、相当同情を引くのか、あのエースが気遣いを見せることもあるくらいだった(さすがに同じ学生に施しをもらうわけにもいかず毎回固辞している)。
そろそろ本当に限界を感じていたので、月々の支出をすべて記録したうえで、学園長に直談判することにした。改めて記録してみると、ほとんどの支出は食費で、計算したらエンゲル係数がえらいことになっていた。わたしが食べる量は大したことない。おやつだって我慢できる。本当に、グリムが本当によく食べるのだ。いいことだ。いいことだが先立つものには限りがある。グリムの食費だけでも別で出していただければかなり楽になるのだけれども。
しかして学園長がすんなりわたしの主張を受け入れてくれるわけがないのである。
「監督生である君の落ち度ではないですか? グリムくんの監督をお願いしたのですから、そこのところも管理していただかないと困りますねえ」
学園長は食費の支出が大半であることを認めながら、わたしの監督不行き届きを指摘した。
「そうおっしゃいますけど、食べることに関して制限を設けるのは精神的にしんどいんですよ。目の前で寮生がお腹を空かせているのに放置するのは、果たして監督生としてよい行いでしょうか。それで学業に集中できますか。まあ、教育者である学園長がそうおっしゃるなら? もしかするとそうなのかもしれませんが? 学園長がそういう教育方針なのであれば従いますよ、ええ」
「むむむ……君も言うようになりましたね。しかし増額というのも……」
学園長はしばし悩んだのち、「そうだ」と声をあげた。
「君、購買部でアルバイトをしてみませんか?」
購買部は、ホリデーの時期が近くなるとあわただしくなる。ホリデーには生徒たちがいっせいに実家へ帰るので、地元へお土産を買うもの、実家に荷物を送るものが増えるからだ。わたしは詳しく知らないが、鏡を通って帰省する際には、しっかり持っておかないと荷物を落としてしまうことがあるらしい。そうすると荷物の行方がわからなくなってしまうので、道中絶対になくしたくないものは、あらかじめ購買部から宅急便で送るのだそうだ。そんなリスキーな手段で実家に帰るのが当たり前なことに驚きを禁じ得ないが、ここの文化に関してはもうなにも言うまい。
そんなわけで、わたしはホリデーまでの期間、購買部で雇ってもらえることになった。なにか面接でもするのかと思ったが、学園長からサムさんに話を通してもらい、即日採用された。サムさんは毎年この時期でもアルバイトを雇うことなくひとりで購買部を切り盛りしているらしい。そんなところにわたしが来て役に立てるものなのだろうか、しかも給金まで出さないといけないのに。しかしサムさんは気にした様子もなく「助かるよ」と言ってくれた(聞くところによれば、モストロ・ラウンジと提携してとある仕事を行うことになっていて、今年はそれがとても忙しいのだそうだ。アズール先輩のことだから、大きなことをやる予定なのだろう)。もしわたしの働きがよければ、繁忙期じゃなくても雇っていいとまで言ってくれたからうれしい。これは社交辞令かもしれないが、もし今後も安定して収入を得ることができるのなら、食費の不足も解消することができるだろう。どうせ学園長の提案はその場しのぎで、バイトの期間が終わったあとのことは考えていないだろうから、それ以降はわたし自身の手で道を切り開かねばならないのだ。
昼休みは時間が短く、わたしも食事を摂る時間が必要なので、基本的に働くのは平日の授業後と、土日ということになった。レジの使い方を教えてもらい、わたしが店番をしているあいだ、サムさんは購買部の奥のスペースで配送などのほかの業務を行う。
エースとデュースに事情を話すとたいへん驚かれたが、わたしが金銭のやりくりに苦慮しているのを何度も見ているふたりなので、よかったなと喜んでくれた。
「グリムは一緒に働かないのか?」
「それも考えたんだけど……仕事増やしてサムさんに迷惑かけるのだけは本当に避けなきゃいけないから」
グリムの普段の素行を考えると、とてもじゃないが働かせるのは無理だった。学園長にも、働くのはわたしだけだと釘を刺されている。わたしもグリムが暴挙に走ったとき、きちんと止められる自信がない。お店に損害を出してしまっては本末転倒だ。学園長からもらう生活費はグリムひとり分で、わたしが稼ぐのは自分自身の生活費だと割り切って働くしかない。
「オレ様のためにキリキリ働くんだゾ!」
「こらグリム、どこでそんな言葉覚えてきたの。……ああ、アズール先輩か」
「オレ、監督生には本気で同情するわ」
勤務初日、ふたりは授業後買いたいものがあるからと購買部に行くわたしについてきた。購買部に到着すると、わたしはサムさんにエプロンを手渡され、勤務中は着用するよう言われた。首をかしげていると、サムさんはウインクして、「制服のままだと気分を切り替えられないだろう? これを着ているうちは、ウチの店員だ」と言った。なるほど、と思いエプロンを着用して店頭に出てくると、エースとデュースとグリムがわたしを待ち構えている。
「いやー、せっかくきたんだから監督生に接客してもらわないとね」
ああ、彼らがわたしについてきたのはそういう理由か。エースの考えそうなことだった。
「お客さんにはいらっしゃいませ、だろ? ほらほら」
「はいはい、いらっしゃいませ」
「棒読みじゃん! もっと心込めてよ」
「購入する商品はお決まりですか?」
「聞けよ。客なんだけどオレ」
エースは不満そうにしていたが、無視して彼が持っていた商品の菓子パンを勝手にとりあげ会計をする。「接客が雑だぞ」などと文句を言うエースに対して、デュースが「仕事を邪魔するなよ」と呆れていた。それを受けてさすがに大人げないと思ったのか、エースはしぶしぶ脇によける。
エースの次に並んでいたグリムがカウンターに大量の菓子パンをどさどさと置いた。はあ、やっぱりわたしの話を聞いていなかったんだな。聞いてなかったのか、聞いてたけどわかってないのか。どちらなのかは判然としない。
「そんなにたくさん買えないよ、グリム」
「え~~~!? なんで! オキューキンがもらえるって言ってたのはウソだったんだゾ!?」
「だからね、このあいだも言ったけど、お給金がもらえてもそんなに余裕があるわけじゃないんだよ。これとこれなら買ってもいいから、あとは棚に戻してきて」
「ヤダヤダ! これもこれも! 食べたいんだゾ~~~!」
お前は子どもか! まあ、子どもみたいなものか。ナイトレイブンカレッジはハイスクールだけど、彼はエレメンタリースクールもミドルスクールもすっ飛ばして、いきなりハイスクールに通いはじめたわけだから、そう思えばしかたのないことなのかもしれない。メンタルがまだ幼稚園児だと思えば許せる。いや、許せるか? 無理じゃない? そもそもこれを監督しろってのが土台無理な話だったんだ。わたしはママじゃないんだぞ。
グリムはカウンターのうえでじたばたとだだをこねている。そのままだと菓子パンがつぶされてしまいかねないので、さっとよけておく。そのままデュースに渡し、「申し訳ないけど、もとあった棚に戻してもらえるかな……」と伝えると「任せろ!」と言って戻しにいってくれた。ありがたい。
残念ながら、生活費はわたしが全額管理しているので、彼が勝手に使うことはできない。ふたつだけ菓子パンを会計して、グリムに持たせた。
「うう……けちなんだゾ……」
「お昼ご飯がお水だけになってもいいならわたしも止めないんだけどね。はい、ありがとうございました。またお越しください」
しょんぼりしたグリムがカウンターからどくと、次はデュースの番だ。
「買うの菓子パンだけじゃないんだね、めずらしい」
「ああ、もうすぐホリデーだから、母さんへのお土産を買おうと思って」
「へえ、デュースはお母さん思いだね」
会計をしようと商品を手にとると、わたしの背後から伸びてきて手にそれを取り上げられてしまった。ギョッとして振り返ると、商品棚の整理をしていたはずのサムさんが立っていた。
「サムさん!」
「Hey! 小鬼ちゃんたち、家族にお土産を買うならこういうのはどうだい?」
サムさんはカウンターに置いてあったパンフレットを、エースとデュースにひとつずつ手渡した。わたしもパンフレットをひとつとって中を見る。グリムはわたしの手元を覗き込んだ。
オクタヴィネル寮のモストロ・ラウンジで贈り物の予約受付をしているという内容だ。あらかじめ申し込みをしておくと、ウインターホリデーに贈り物が届くということらしい。お世話になった人へ贈り物はいかがですか、という謳い文句がおどっている。ああ、サムさんが言っていた仕事というのはこれか。きっと商品の仕入れや配送の面で彼らに協力しているんだろう。イソギンチャク騒動のあと導入されたポイントカードといい、アズール先輩もいろいろと考えるものだ。ちなみにこれも申し込みをするとポイントが貯まるらしい。
「へえ、おもしろいじゃん。オレも兄貴になんか贈ろっかな」
「僕もこれで母さんにお土産を買おう。ありがとうございます、サムさん!」
「カタログがほしければモストロ・ラウンジに行くか、オクタヴィネル寮生に声をかけて。スマホからも見られるから、そちらもぜひご利用を!」
結局デュースは自分用の菓子パンだけ会計した。ふたりと一匹が購買部を去ったあと、サムさんの顔をこっそり見上げる。
「仕事中なのにすみませんでした」
「ん、私語のことかい? 気にすることはないさ、学生だし多少おしゃべりなほうが元気でいい。そのおしゃべりを利用して、こうして売り込みもできるしね」
「あ、ありがとうございます……」
「さて、オレは奥に行くから、店番を頼めるかい。配送手続きがしたいっていう生徒がきたら呼んでくれ」
サムさんはそう言って店の奥に引っ込んだ。いい人だ。学園長はあんななのに。学園長と比べるのはさすがに失礼か。
「あのー、これ買いたいんすけど」
「あ、はい! いらっしゃいませ!」
さあ、おしゃべりしてしまったのは事実だし、ここからちゃんと巻き返さないと。わたしは制服の腕をまくり、お客さんの生徒に笑顔を向けた。営業スマイル、営業スマイル。
わたしがサムさんにこれは絶対守ってほしいと言いつけられたことがふたつある。「多少待たせてもいいから正確な仕事をすること」、「ひとりでいるときに値切り交渉を受けないこと」だ。学校の購買で値切り交渉する生徒がいるのか……と不思議に思っていたが、ラギー先輩が購買部にやってきたときにその疑問は解消された。ああ、まあ、この人ならいかにもやりそうである。苦学生はわたしだけではないのだ。
「アレッ!? なんで監督生さんがレジやってんスか!?」
ラギー先輩はやってくるなりわたしがレジに立っていることに驚いた。ラギー先輩の耳がぴん、と立ったので思わず見つめてしまう。ラギー先輩はわたしの目線が自分の耳に向いていることに気がついたのか、一瞬気まずそうな顔をして耳の居住まいを正した。耳の居住まいを正すってなんだ。でもほかに言いようが思いつかない。
「実はここでアルバイトすることになりまして……」
「ここバイトなんか募集してたんだ。いいッスね~、オレもやりてえなあ」
ラギー先輩は「時給いくらなんスか?」とこっそり尋ねてきたが、「勤務中ですので」とやんわり断った。学園長の紹介とも言いづらい。なんだかえこひいきされているような気がするからだ。いや、境遇を考えればぜんぜんそんなことはないはずなんだけど。頼れる身寄りもないんだし。
「ちぇー。けち!」
グリムにも言われた言葉だ。ラギー先輩にも言われてしまうなんて、わたしってそんなにケチなんだろうか……。なんだかショックだ。
「それで、なにかご入用ですか?」
「レオナさんのおつかいッスよ。卵サンドの在庫まだあるッスか?」
「ああ、たしかあったと思いますよ」
「んー、たぶんレオナさんはアイスティーッスかね」
ラギー先輩はそう言いながら慣れた様子でレオナ寮長の要望の品々を手にとってレジまで持ってきた。
「はい、会計しますね」
レジの操作をして、合計金額を伝える。硬貨を何枚かもらい、おつりを計算して戻す。ラギー先輩はカウンターに肘をつき、その様子をじっと見つめていた。緊張して失敗しそうだからやめてほしい。
「ところでものは相談なんスけど、君にも安くしてもらうことってできるんスか?」
「わたしひとりのときは値切り交渉しちゃだめだって、サムさんに止められてます」
「わちゃー、さすがサムさん。抜け目ないなあ」
ラギー先輩は心底おかしそうに笑ったあと、「じゃ、そろそろレオナさんとこ行かなきゃなんで。オシゴトがんばってくださいッス」と言い残して去っていった。意外とこういうときは引き下がるんだよなあ、あの人。けっこうちゃんとしているというか、なんだかんだ優しいのだ。普段廊下ですれ違ったときなんかは次の授業が遅刻寸前になるまで絡んでくるのに。たぶんわたしが勤務中だったからほどほどで切り上げたんだろう。線引きがはっきりしていてわかりやすい。
ナイトレイブンカレッジの生徒が、みんながみんなラギー先輩のように優しければいいのだが、そうでない生徒ももちろんいる。わたしの一存では値切りはできないと再三言っているのに、執拗に安くしろとうるさい上級生がいて、今日もそいつに絡まれていた。わたしも不本意ながらこの数ヶ月でガラの悪い人のあしらい方を身に着けつつあり、何度かは丁重にお断りのうえお帰りいただいている。しかし、なぜだか今日は一向に引き下がってくれない。サムさん相手では交渉に勝てないんだろう、と思う。だからわたしに交渉させようとするのだ。
「ですから何度も言っているとおり、わたしは値段を勝手に変えられないんです。そういうご相談がしたいならサムさんを呼びますから……」
「アァ!? オレは客だぞ! 客の要望に応えろよ!」
ああ、まったく話が噛み合っていない。たかだか菓子パンで声を荒げないでいただきたいものだ。そんなに今日は懐に余裕がないんですか?
おそらく物理的にサムさんを呼びにいけないようにするためだろうが、先輩は急にカウンターごしにわたしの腕を掴み、カウンターにねじふせた。一瞬なにが起こったかわからなかった。ぐえ、とつぶれたカエルのようなわたしの声がする。錬金術の授業で実際にカエルがつぶれた(クルーウェル先生がつぶした)ところを見たが、カエルは声もなくつぶれていたのを思い出す。たとえはあくまでたとえだ。一拍遅れて痛みが走り、たまらず呻いた。
わたしが魔法を使えないことは入学式のこともあっていろんな人が知っていて、だからナメてかかられることはよくある。腕章のない制服を着た一年生がいたら、そいつは魔法が使えない。そういう話が一年生を中心に、上級生まで回っているようだ。普段はエースとデュースとグリムがいるから絡まれないだけで(彼らの素行の悪さというのもまた同時に有名なのだった。なにせ入学初日でシャンデリアを破壊している)、一人でいるとこういう暴挙に出る輩もいてしかるべきなのだろう。勉強になるなあ。目線だけで周囲を見ると何人かほかのお客さんもいるようだが、みんな遠巻きに見ている様子だった。助けは期待できそうにない。
あんまりやりたくなかったが、大声を出してサムさんに来てもらうしかないだろう。そう思って大きく息を吸い込んだとき、購買部に足を踏み入れた人がいた。
「一体なんの騒ぎですか?」
アズール先輩と、リーチ兄弟のお二人だった。わたしに絡んでいた先輩が動揺したのがわかる。ナイトレイブンカレッジにおいて気性が荒いのは圧倒的にサバナクローだが、嫌われている度合いでいうとオクタヴィネルに軍配があがる。嫌われているというか、なんというのだろう、煙たがられている? あんまり変わらないな。得体の知れなさというのだろうか、パワーだけで押し切れない雰囲気があるからなのかもしれない。苦手とする人が多い印象がある。
「ゲェッ……お前らオクタヴィネルの!」
そう、みんなこういう反応をするのだ。気持ちはなんとなくわかる。
「あは、こんなとこでオイタはダメだよ~。絞められたいの?」
ぬっ、という効果音がつきそうな動きで前に出てきたフロイド先輩は、わたしに無体を働いていた先輩の腕をやにわに掴み、ひねり上げた。普段はふにゃふにゃしているのに、フロイド先輩は突然俊敏に動くので驚く。相当痛かったのか、先輩はわたしの腕を離し、フロイド先輩の手を振りほどこうと暴れた。暴れても体格差はどうにもならない。
「おやおや。誰かと思えばあなた、期末テストのときに僕と取引した225名のうちのおひとりじゃないですか。お久しぶりですね」
「ひぇっ……」
アズール先輩の言葉で顔色が変わったのを見て、あーあ、と思う。あのときのイソギンチャクのひとりか。アズール先輩を見て動揺していたのも、つまりはそういうこと。鼻にかけるようだからあまりこんなことは言いたかないが、イソギンチャクから解放されたのはわたしのおかけでもあるはずなのに、とんだ扱いを受けたものだ。いっそあのあともイソギンチャクが生えたままでいればよかったのに!
「イソギンチャクから解放されてぇ、もしかしてはしゃいでんの?」
「元気があり余っているようですから、すこし遊んであげたらどうですか、フロイド」
「んふふ、そーするぅ~。オレとあそぼー。いっぱい絞めてあげるね」
「や、やめてくれ! 悪かった! もうしねえから!」
「ん~? なんの話してるのかわかんないー」
フロイド先輩は、やめろやめろと叫ぶ(元)イソギンチャク先輩の腕をつかんだまま引きずり、購買部の外に連れていってしまった。イソギンチャクのままでいればいいのにとはいったものの、少し同情してしまう。ご愁傷様だ。
解放された自分の腕を見ると、よほど強い力で掴まれたのか赤くなっていた。痛みはさほどない。保健室に行くほどではないだろうが、あとが消えるまでは目立っていやだな。
「ああ、これはこれは! オンボロ寮の監督生さんじゃありませんか!」
アズール先輩はさもいまはじめてわたしの存在に気がつきましたという芝居がかった笑顔と声色でそんなことを言った。先輩、いまの絶対わたしだってわかってましたよね。だいたい、アズール先輩は廊下や食堂で会ったときにも似たようなことを言う。このあいだ、校庭で箒にまたがっているアズール先輩を見かけて驚かそうと背後に立っていたら、普通にびっくりした顔で「なんでいるんですか!?」と言われたので、こうやって長い台詞が出てくるときはわたしの存在にあらかじめ気がついていたときだ。わたしは知っている。
「危ないところでしたねえ。偶然我々が通りかかったのは運がよかった。こうしてあなたを危機から救うことができたのですから!」
「助けていただいてどうもありがとうございました、アズール先輩」
「いえいえ、とんでもありません。お役に立てて光栄ですよ、監督生さん。もちろん、謝礼などいただきませんとも。我々は親切な人魚ですから」
学園長みたいなことを言わないでほしい。
「はあ、知ってるとは思いますが、わたしはこのとおりお金がないのでなにも差し出せませんよ」
わたしが両手を頭の高さまで上げてなにも持っていないことをアピールすると、にこにこと笑みを貼りつけていたアズール先輩は芝居がかった所作をやめて、呆れたように首を横に振った。
「謝礼はいらないと言っているでしょう。人聞きの悪いことを言わないでくださいますか」
「ほしいのかと思いました、言い方的に」
「こんなところで働くほど困窮している方からお金を巻き上げたりしませんよ。ない袖は振れないものですからね」
アズール先輩が続けて「ところで、サムさんはいらっしゃいますか」と尋ねてきたので、店の奥へサムさんを呼びに行った。サムさんはアズール先輩を奥へ連れてくるように言い、アズール先輩も奥へ引っ込んだため、店頭に戻ったわたしはジェイド先輩とふたりきりになってしまった。先ほどの騒動のせいで、お客さんは全員逃げ出してしまったのだった。営業妨害もいいところだ。彼らが逃げ出した原因は、どちらかというとフロイド先輩のような気はするが。
ジェイド先輩は、正直いえばアズール先輩よりもなにを考えているのかよくわからない人だ。どうしてもフロイド先輩の振る舞いや、アズール先輩の口上に注目が集まりがちだが、それをうまくまとめているジェイド先輩こそ最も得体が知れない。常に微笑みをたたえていて物腰は丁寧だし、アズール先輩と違って皮肉は言うが嫌味なことはあまり言わない。ひとりでいる分には人畜無害に見えるのだけれども、わたしはなんとなく苦手だ。
「ええと、一緒にいかなくてよかったんですか」
「サムさんとの交渉はすべてアズールに任せていますので。それより監督生さん、お時間があるなら僕とおしゃべりなどいたしませんか?」
「え、な、なにをしゃべるんですか……?」
思わず身構えてしまった。先輩に対して甚だ失礼だったが、ジェイド先輩に気にした様子はなかった。
「僕はとても監督生さんに興味があるんですよ。ぜひ、あなたの話が聞きたいと思いましてね」
「いや絶対うそですよね。興味あるって顔じゃないんですけど」
「ひどいことをおっしゃいますねえ。僕のこの目を見ても信じられないんですか?」
ジェイド先輩はそう言ってわたしの顔を覗き込むように顔を近づけてきた。背丈に差がありすぎて、ちょっとかがませてしまっている。驚いて後ろに一歩下がると、「おや、嫌われてしまいましたね」とすぐ元の姿勢に戻った。誰だって急に顔近づけられたら逃げますよ。頼むから今すぐ誰かなにかを買いにきてくれ。わたしを助けて。
「ただいま~」
フロイド先輩が帰ってきた。イソギンチャク先輩は連れていないようだ。誰か助けてくれてとは言ったがフロイド先輩ではあまり意味がない。これでは状況が悪化しただけだ。もっとこう、トレイ先輩とかにきてほしかった。
「おかえりなさい、フロイド」
「たのしかった~。アズールまだ?」
「そろそろ戻ってくると思いますよ」
二人が口にしない以上、イソギンチャク先輩がどうなったのかはさすがに聞けなかった。ジェイド先輩が聞かないということは、きっと彼からすると分かりきったことなんだろうと思う。聞きたいのかといわれると正直聞きたくない。この話題にはさわらないでおくべきだ。
「フロイド先輩も、先ほどは助けていただいてありがとうございました」一応彼にも感謝の気持ちを伝えておく。
「え~? 小エビちゃん、なんかお礼してくれんの?」
「さっきもアズール先輩に言ったんですけど、なにも差し出せるものはないんですよ。すみません」
「じゃあ今度一緒に遊んでよ。なんかおもしろい遊び考えてきて」
地味にハードルの高いお礼を要求するフロイド先輩だったが、わたしに断る選択肢はなかった。先輩だし、恩人だし。うーん、なにかフロイド先輩と楽しめそうな遊びを考えないといけない。とはいえ、わたしはこちらの遊びに詳しくない。せっかくだからみんなに聞いて回ろうかな。
「危ないことはしないでくださいね、わたしを絞めるとか」
「んー、どうかなぁ」
「ええ……こわいんですけど……」
「それは僕もご一緒できるんですか?」
ジェイド先輩が尋ねたが、フロイド先輩にすげなく「ダメ」と言われてしまう。「おやおや、フロイドは意地悪ですねえ」とジェイド先輩は手を口に添えて笑っていた。フロイド先輩に遊ぼうと言われて連れていかれたイソギンチャク先輩の背中を思い出し、わたしはうっすらと命の危機を感じるのだった。この場合ジェイド先輩がいたほうがいいのかいないほうがいいのか、わたしには判断がつかなかった。グリムについてきてもらおうかな。フロイド先輩の名前を出したらいやがるだろうから、なんとかごまかして連れていこう。そうしよう。
アズール先輩が店の奥から戻ってきた。サムさんも一緒だ。
「フロイド、戻っていたんですか。ご苦労でしたね」
「聞いたよ。変なのに絡まれていたんだって?」
サムさんは「気がつけなくてすまなかったね」と言って申し訳なさそうに眉を下げた。
「そんな、サムさんが謝ることではないですよ!」
今回の件はわたしがすぐに助けを呼ばなかったのが原因だ。今まであしらえていたから、今回も大丈夫だろうと油断していた。わたしは魔法も使えなければ物理的にも非力なのだし、本来ならもっと早く助けを呼ぶべきだったのだ。アズール先輩たちが来てくれたからよかったようなものの、最悪の場合はサムさんにたくさん迷惑をかけていただろう。調子に乗っていたわたしが悪い。そこは大いに反省だ。
「次からはすぐに助けを呼びます」と言うと、サムさんは「ぜひそうしてほしい」と言った。
「監督生さん、次お金に困ることがあれば、モストロ・ラウンジでのアルバイトもご検討くださいね。せいぜいこき使……いえ、我々と一緒に汗水流して働きましょう! モストロ・ラウンジはあなたを歓迎しますよ!」
アズール先輩は最後にそう言い、リーチ兄弟も「もうさらっちゃえばいいのに」「それはいい考えかもしれません」などと物騒な会話をしながら三人とも購買部を出ていった。リーチ兄弟の犯行予告は聞かなかったことにしてもいいだろうか。今日から自室の鍵はちゃんとかけることにしよう。
モストロ・ラウンジは基本的にオクタヴィネル寮生が店員となって働いているが、そういえばわたしもイソギンチャク事件のときに給仕の手伝いをしたことがあった。他寮の生徒でも働かせてくれるのか。ここでのバイトが終わったら、モストロ・ラウンジでのバイトもいいのかもしれない。雇い主がアズール先輩なのが若干、かなり、心配ではあるけども。いま絶対こき使うって言ってたし。ていうかその前にさらわれるかもしれんし。
「勝手にうちの店員を勧誘しないでもらいたいものだね」
サムさんがあまりいい顔をしなかったのがすこしだけうれしかった。さっき迷惑をかけたばかりなのに、調子のいいことだ。