ジャミル・バイパーは監督生に興味がない
※4章までのネタバレあり※女監督生夢主
とんでもない話を聞いてしまった。ひとけのない廊下、ここは学園長室の前だ。
学園長室は通常俺たちが授業を受ける教室などとは離れた場所にあり、わざわざここの廊下を通る生徒は少ない。混雑する休み時間なんかは、多少遠回りになってもこちらを使うほうがはやいので移動に重宝する。今日もカリムがなにか騒ぎを起こしたらしく、スカラビアの寮生から呼び出しがかかっていた。一体なにが起こったのかは知らないが、カリムと同じクラスの寮生から「助けてください副寮長」と言われれば十中八九カリムのことだし、俺は向かうしかないのだった。さっきまでは体力育成の時間だっただから校庭だろう。箒がどうとか言っていたし。急がないと絶対面倒なことになる。カリムの相手は初期消火が重要なのだ。できれば事前に防止するのが最も望ましい。
この角を曲がれば学園長室の前に出る、というタイミングで、人の気配を感じて咄嗟に角を曲がるのをやめて隠れた。なぜかといえば俺が廊下を走っていたからである。人の目がない場所は走れるからいいが、学園長室の前で人の気配があるとなれば教師の可能性が高い。廊下を走っているところを見られれば、俺の今まで築いてきたイメージが損なわれてしまう。それは避けたかった。俺は廊下の角に隠れたまま、学園長室の前の様子を覗き見た。立っているのはふたり、学園長と、オンボロ寮の監督生だった。
オンボロ寮の監督生は、魔力を持たないでナイトレイブンカレッジに入学してきた変わり種の生徒だ。炎を出すモンスターを連れていることもあり、一時期はさまざまな噂が飛び交った。あのモンスターは実は元人間、とか、監督生は学園長の隠し子、とかそういう突拍子もない類のもので、根も葉もあったものではない。暇人たちのお遊びだ。後者は学園長が特に監督生に目をかけている(俺にはとてもそう見えないが、魔力がないのに監督生という立場を与えられていることがそういう認識になるのだろう)ことに端を発した噂で、これには監督生の母親が関与しているだとか、ほかの教師陣がいい顔をしていないだとか、教師陣を含めた大人たちの人間関係に言及した尾ひれがずいぶんとたくさんついていた。中でもトレインははもともと奔放な学園長に対する当たりが強いことで有名だからか、よく名前が出た。やけに詳しいと思うだろうが、スカラビア寮内でもこの話をする者が後を絶たず、いやでも耳に入るのだ。断じて俺が噂に興味があるわけではない。意外と監督生がおとなしかったからなのか、エース含めあれの周囲が思ったより威勢のいいヤンチャだったからなのか知らないが、最近になって噂はかなり落ち着いた。いまだに冗談の一端でそういうネタが飛び出すことはあるが、それもそろそろ笑いをとるには手垢がつきすぎている。そうなれば人が飽きるのも時間の問題だった。
学園長と監督生が、学園長室の前でなにか話し込んでいる。隠れていないでそのまま歩いて通りすぎればよかったのだが、ふたりが深刻そうな様子だったのでなんとなく出るに出られなくなってしまった。深刻な話をするなら部屋の中に入ればいいのに、どうして廊下で立ち話をしているんだあいつらは。噂を信じているわけではもちろんないが、なんというか見てはいけないものを見ている気分になってくる。こうしているあいだにもカリムが騒ぎを大きくしているかもしれない。急がなきゃいけないのに、どうしたものか。
「話はわかりました。この件は私が調べておきます」
学園長の声が聞こえる。監督生がありがとうございます、と返事をした。話が終わる気配を感じ安堵する。最悪マジカルペンか髪飾りを適当に投げて拾うふりでもしようかと思っていたところだった。しまった、マジカルペンを落としてしまった! なんて茶番を演じる必要がなくなってよかった。
「くれぐれも無茶はしないように。君は女の子なんですからね」
「わかってますよ」
我が耳を疑った。いま学園長はなんて言った。女の子だって? 監督生は、これまでなんとかなったんですから、これからもどうにかなります、と言葉面だけ見るとひどく楽観的なことを口にした。実際楽観的な言葉だったんだろう、学園長は呆れた様子で今後も同じとは限りませんよ、と言った。
「さあ、次の授業の準備があるでしょう。もう行きなさい」
学園長がそう促すと、監督生は返事をしてその場を去った。学園長もやがて学園長室に入っていったが、俺は衝撃のあまりその場を動けずにいた。我に返り自身に課せられたミッションを思い出したのはたっぷり一分ほど立ち尽くしたあとだった。周囲に誰もいないのを確認してから走り出す。この件について考えるのは後回しだ。
校庭で暴走した箒に乗っていたカリムを救出し、保健室に連れていく。ぐるんぐるんと縦方向に回転していた箒は、最終的にコントロールを完全に失って森の方へ飛んでいってしまった。なにをどうしたらあんな動きをするのか、俺が子どもの頃にも箒であんな風になった経験はないからわからなかった。
カリム本人はふらつきながら「大丈夫だから保健室はいい」と言い張ったが、校医に診てもらった結果足に軽い打撲があったらしいのでこいつの言葉は当てにならない。どうも暴れた箒が足に当たっていたようだ。だから怪我がないか聞いたのに。カリムを睨みつけると、さすがにばつが悪かったのか困ったように笑ってこちらを見た。保健室のベッドで横になったカリムはやはり普段より元気がないように見える。そばについていようとしたが、校医はそれをよしとせず授業に戻るよう俺を促した。カリムもそれに同意する。舌打ちしそうになるのをこらえ、昼休みには迎えにくる旨を伝えて保健室を出た。この授業が終わればすぐに昼休みだ。そのときにはカリムも回復しているだろう。弁当はぜんぶ食べられるだろうか、と今日の弁当のおかずを思い出す。いまからでも食べやすいものを用意してやりたかったが時間がない。無理してぜんぶ食べないようにだけ注意を払っておこう、と思った。
教室に戻ると、寮生からことの次第を聞いていたであろう教師は俺に労いの言葉をかけるだけで咎めることはしなかった。一年生の時分からこういうことはよくあって、教師もクラスメイトも慣れたものだ。教師に申し訳ありませんと言って頭を下げたあと、自分の席に座った。
さて、いざ教科書を開いても、俺の耳には教師の声は一切入ってこなかった。あとで考えようと思っていた監督生のことが頭に流れ込んできたからだ。あの話、マジだったんだろうか。ナイトレイブンカレッジは男子校だ、女子生徒が在籍しているわけがない。でもたしかに学園長は監督生に、君は女の子なんですからね、と言っていた。監督生の姿を思い浮かべる。着ているのはもちろん男子の制服。そもそも仮に女子だったとしても女子の制服はないので当たり前だった。たしかに平均よりは身長も体格も小柄なほうだったと思う。顔つきも男くさくはない、と思ったがよく考えたら俺は監督生の顔をちゃんと見たことがなかった。サバナクローの寮長の企てで怪我をしたときにたしか食堂で話をしたはずだが、はて、どんな顔をしていただろう。印象に残っていないということは良くも悪くも普通だったに違いない。べつに俺が特別人の顔を覚えられないわけではない。名前は知らんがポムフィオーレの女みたいな顔をした一年生は顔を覚えているので、人間の記憶とはそういうものなのだ。それこそその一年は女に間違えられることがよくあると聞いたことがあるが、監督生にまつわる噂の中には性別に関するものはなにひとつなかったように記憶している。普通はそういう噂が流れるものではないだろうか? 監督生は実は女なのに男として通っている、というような。実は学園長の隠し子で、実は魔力がないなんて嘘も大嘘で実際には本人にも扱いきれないような強力なユニーク魔法の持ち主で、実は連れているあのモンスターは超強い力を秘めた元人間の使い魔で、さらに実は女。設定が渋滞しすぎていて胸焼けしそうだが、悪ノリというものは一度はじまると際限がない。こんなアホの極みみたいな話、最初に言い出したやつは誰なんだ。実は女、も相当アホだ。アホだが本当らしい。マジか。噂にもならないということは、知らなかったのは俺だけなのか?
気がつくと授業は終わっていた。手元のノートにはきっちり今回の授業の内容がまとめられている。まったく記憶にない。
散々昼休みになったら迎えに行くから動くなと伝えていたはずのカリムが、ジャミル腹減った! と教室の入口から声をかけてきて危うく本当に舌打ちしそうになった。校医はなにをしていたんだ、役立たずめ。とはいえカリムはもうすっかり元気そうだった。大声で歌でも歌いだしそうなレベルで、まあ保健室で歌いだしたら追い出されもするか、と思い直した。弁当を広げる場所を探して校内を移動していると、俺の姿を見つけたエースが「あ、ジャミル先輩だ」と笑顔で手をひらひらさせているのが見えた。懐っこい、人好きのする顔の男だ。聞けば兄がいるらしく、こと年上の懐に入るのには長けているようである。まぁ、バスケ部での様子を見る限りいかに年上といえどフロイドの扱いには困り果てている様子だったが、あれをうまく扱える者はこの学校にはふたりしかいないのだからしかたがない。フロイドよりかはとっつきやすいのだろう、俺のことは見かければ今みたいに手を振るくらいはする。俺はべつに振り返さないが。さすがに手をあげるくらいはするか、と思っていると、なぜかカリムがかわりに大きく手を振った。さすがにエースが驚いた顔をしている。エースからすれば俺に手を振ったのに(名前まで呼んだのに)俺の隣にいる知らん先輩が手を振っているわけなので、そりゃそんな顔もする。
「カリム、いいから」
「なんでだ? ジャミルも振り返してやれよ! あ、今度あいつも宴に誘おう。あれ一年だろ? ほかの一年も連れてきてもらおうぜ! また一段とと楽しくなるぞ!」
「だからいいって! もう行くぞ」
早足でその場を離脱する。あ、そういえば、と思いエースの隣にいた小柄な影に視線を向けた。オンボロ寮の監督生。一応確認しておこうと思ったのだった。思っていたよりも体は小さい。ハーツラビュルの寮長もここではかなり小柄な方だが、同じかそれより小さいくらいか。顔は、まぁ、普通だった。特筆すべき点が見当たらない。ポムフィオーレのあれが男なら、監督生が男でもおかしくはないのでは、というのが正直なところだ。ちょうど監督生も俺の顔に目を向けたようで、ばっちり目が合ってしまった。ギョッとしてすぐに逸らす。見てたのバレただろうか。好奇の視線には慣れているとは思うが、慣れているとしてもそんなに気分のいいものではないだろう。少しの罪悪感があたまをもたげた。次からは過剰に視線を向けないようにしようと思った。女ならほら、多少は優しくしないと俺の気分がよくないだろう。
今日もフロイドが練習をサボっている。本人にサボっているという感覚はないんだろうが、気分が乗らないと言って無駄に長い手足を放り出して床に転がっているこの状況を、人はサボっていると表現する。逆に練習場所にくるところまでは気分が乗っていたわけだから、そう考えると惜しいところだ。いや惜しいもなにもないか、結局練習はしてないんだものな。エースもこのごろは注意もしなくなっている。彼も素行がまじめなタイプではないから、ふまじめな人間を注意するのは骨が折れるのだろうと思う。注意はしなくなったが、たまに「一緒に練習しましょーよ」とか「あれ教えてください」とボールを持って寄っていくところを見ると、諦めているわけではなさそうだった。アプローチを変えた結果、一割未満だった勝率は三割程度に改善している。フロイドも人間なのだなと思う瞬間だ。しかしエースのあれは誰かの入れ知恵なのでは、と俺は睨んでいた。たとえば、そうだ、あの眼鏡の三年生とか。
「カニちゃんさぁ、小エビちゃんがどこからきたかって知ってる?」
エースにシュートのフォーム見せてくださいと言われ重い腰を上げたフロイドが、バスケットゴールを見据えながら問うた。エースが返答する前にボールはフロイドの手を離れ、見事にリングの中へ吸い込まれていく。エースは床に落ちたボールを拾い上げ、「それって、出身地とかの話っすか?」と言った。
「そーそー」
フロイドはたまにこうしてエースにものを尋ねることがある。エースが要求したことをこなしたんだから代わりに情報をよこせ、ということらしい。おそらくオクタヴィネルの寮長に流れていくんだろう。俺は二人の様子を眺めながら小エビちゃんが一体誰なのかを考えていた。フロイドのあだ名は意外と特徴をとらえていたりするのだ。エビではなく小エビ、なのだから小さいには違いないが、エビはなんだろう。猫背なのか? エビ反りは逆か。いやエビ反りしてる生徒なんかいるか? そんな生徒がいたらフロイドでなくともエビと呼ぶと思う。俺もたぶん心の中でこっそりエビ野郎と呼ぶだろう。
「一回聞いたことはあるんすけど、ぜんっぜん聞いたこともない国だったんすよ、ねっ」
エースが拾ったボールをフロイドめがけて投げ、フロイドは難なくキャッチした。フロイドはふーん、とつぶやく。
「どーもおかしな文化の国っぽいすよ。そもそも魔法使える人間もいないみたいだし」
それを聞いて、ああ、オンボロ寮の監督生の話か、と納得した。つまりあいつはエビ反りをするのか。なら今度から俺もエビ野郎と呼ぶべきか、いや、女なんだったな。野郎は正しくない。
「人魚もいねーのかな?」
「魔法は小説とかマンガでしか見たことないとかって言ってたし、人魚もそうなんじゃないっすか?」
「へー、なんかつまんなそー」
「それはオレも同感っすね」
俺の故郷にも魔法が使えない人間はいるが、そう多くを占めているわけではない。魔法が使えない人間も、魔力が込められた道具を使うことで、擬似的に魔法を使えるようになる。もちろんそういう道具は簡単には手に入らない。国によっては量産できる技術を持っていたりとか、カリムの家くらいでかいところなら、そういうものもわんさか集まってくるだろうが(たとえば魔法の絨毯だとか)。そういう事情もあって、魔法が使えない者は、これまで魔法の代わりに科学技術を発展させてきた。科学技術に魔法を掛け合わせることで、さらに便利な道具もつくりだした。監督生の国に魔法が使えない人間しかいないということは、科学の力だけで生活を維持させているわけだ。俺たちの生活水準とは多少ズレがあってもおかしくない。こちらにきて驚くことは多いだろう。
何度かフロイドがシュートを決めたあと、エースがオレもやっていいっすか、と言ってシュート練習をはじめたが、フロイドはエースが一発目のシュートを外したところでもう飽きたらしく、また床に座り込んでしまった。「あ、ちょっと! ちゃんと見ててくださいよ!」「だってぇぜんぜん入んないじゃん」「まだ一発目なんすけど!?」などとやりとりしているところは、いかにも普通の先輩後輩に見える。今日のフロイドは相当機嫌がいい。俺もそろそろ先輩しておくか、と思いエースのシュートに適当に口を出すことにした。
「やーもうほんと、頼みの綱はジャミル先輩だけっすよぉ」
「はぁ~? シュートするとこ見せてやったのにそゆこと言う?」
「アッやべ」
エースは考えなしにしゃべる癖をどうにかしたほうがいい。今のでフロイドの機嫌は地に落ちただろう。取り入る相手を間違えたな。立ち上がったフロイドにエースが顔を引きつらせ、ボールをほっぽりだして走り出す。エースとフロイドが鬼ごっこをしているあいだ、俺はひとりでシュートを打っていた。止める義理もなかったからである。
そのエースが廊下で監督生と抱き合っていた、という話が聞こえてきたときは、監督生が女だと知ったときくらい驚いた。目撃者が多く、これは噂というよりはただの事実のようだった。だいたいいつも一緒にいるのは知っていたが、そういう意味を孕んでいたのか。俺の故郷では、未婚の男女がべたべたとくっつくのはあまりよしとされていない。昨今では古い慣例だと考える向きもあるにはあるが、特にカリムみたいな生まれだと特にそういう意識は叩き込まれるから、俺も同じようにそういう教えを受けて育っている。ナイトレイブンカレッジにはいろんな国の出身者が集まっているから、文化の違いに驚くことは少なくないが、男女関係の文化の違いを見せられるとかなりの衝撃がある。
フロイドにことの仔細を尋ねられたエースが語るには「あいつが先に手つなごうとか言い出したんすよ」ということだった。俺はなぜかふたりの会話に巻き込まれている。練習をしろ。「へえ」と、思ったより感情のない声が出て、エースがすかさず「その顔! 信じてないでしょ!」と声を上げる。知らん。まず興味がない。勝手に手をつなぐなり抱き合うなりしてくれ、できれば俺とカリムの目の届かないところで。
「オレをからかうためだって言うからやり返してやろーと思ったんすよ」
どうやらエースと監督生が抱き合っていた、ではなくエースが一方的に監督生を抱きしめたというほうが正しいらしい。マジでいらん情報だった。余計な想像をさせるな。女を抱きしめるだの抱きしめないだの、経緯はどうあれ悪趣味だぞ。しかし悪趣味な話は継続する。
「じゃあ今度オレも小エビちゃん絞めてみよーかな」
「……一応確認なんすけど、〝抱き〟しめるって話っすよね?」
フロイドはそれには答えないまま、喉の奥で音を鳴らして笑った。エースの顔が「やべえ」と言っている。監督生の身が危ぶまれた。エースを見ていて本当に不思議なのだが、どうしてそう余計なことばかり言えるのか。エースに加え、あの見るからに問題しかなさそうなモンスターの面倒も見ているという監督生には同情を禁じ得ない。カリムひとりとどちらがマシだろうか、と一瞬考えたが、詮ない想像だった。これはそういう問題ではない。
それから監督生を見かけると、あの監督生はもうフロイドに絞められたあとなのか、これから絞められる予定なのかを考えるようになった。元気な様子を見ると、このあと絞められるところを想像してちょっと笑いそうになり、元気がなさそうだと絞められたんだなと納得してしまう。監督生はだいたい元気だったが、まれに落ち込んだ様子のときもあった。魔法が使えない人間が魔法士養成学校にいるのだから、だいたい元気な時点で相当タフだ。監督生を見かける機会は意外とあって(たぶん今までは見かけても認識していなかったんだろうが)、これまた意外に四六時中エースやあのモンスターと一緒にいるわけではないようだった。かといってひとりでいるところもあまり見ない。大抵は誰かしらに絡まれている。フロイドに絡まれているところを見ると、ついに絞められるのかと思って見てしまうが、毎回絞められている様子はないのでがっかりだった。
普段はカリムと違うクラスで本当によかったと心の底から思っているのだが、魔法史の課題が出たときだけは同じクラスがよかったと思ってしまう。トレインはとんでもなくばかまじめな教師で、ご丁寧なことにクラスごとにまったく違う課題を出すのである。クルーウェルの課題は考えさせるようにできていて、複数人であーだこーだ言いながら解くのを前提としているからか全クラス同じ課題が出る。これは楽だ。一緒に課題をやってくれと頼めばカリムは断らないし、適当に誘導して解答を出させればいい。しかしトレインのは始末に困る。まずカリムにどんな課題が出たのか聞きだして、こうやって資料になる本を自分とカリムの分とふたり分探さねばならない。結局ふたり分の課題をやるのと同じである。面倒極まりない。
図書室でまずカリムの分の資料を探す。ナイトレイブンカレッジの図書室はバカ広いので本を探すのも一苦労だ。棚に表示されたカテゴリを眺めながら歩いていると、誰か声をひそめてがしゃべっているのが聞こえてきた。
「あとちょっとだよ、グリムがんばって」
「ふな゛ぁ~~~~~っ、届かないんだゾ!」
「シッ! 声がおっきいよ」
いやぜんぜんひそめられてない。ここか、と思って本棚と本棚のあいだを見ると、噂の監督生が例のモンスター(グリムというらしい)を抱きあげ、いちばん上段にある本を取ろうとしていた。監督生の身長で届かないのはわかるが、グリムを持ち上げてそいつに取ってもらおうというのはあまりも横着だった。図書館には踏み台もそんじょそこらに置いてあるのに。しかもそれでも届かないって、そのレベルで届かないなら普通見てわかるだろう。なんでいけると思ったんだ。あとちょっとと言っているが正直あとちょっとにも見えなかった。
おそらく監督生も魔法史の資料を探しているようだが、取ろうとしている本を見て呆れた。年表がまるまる載っているような通史系の本だ。トレインの課題はマニアックなものが多いので、あれではまったく資料にならないだろう。いかにも一年生が陥りがちなミスだが、上級生に聞けばすぐにわかる話だ。オンボロ寮には上級生がいないから、そういう機会もないんだろうか。あれだけ上級生に絡まれている姿を見かけるのに変な話だった。
精一杯背伸びをしている監督生の足元が震えている。俺は監督生の背後に移動して、グリムの爪がかろうじて触れていた本を取った。後ろから急に手が伸びてきたことに驚いたのだろう、監督生もグリムもギョッとしてこちらを振り返る。目が合った。
「あ、ええと」監督生は目をきょろきょろさせている。
「お望みの本はこれか?」
「それなんだゾ!」グリムの大声に監督生があわてて人差し指を口に添え、「グリム、声」といさめた。
「ありがとうございます」
「次からはちゃんと踏み台を使うことだ。横着するのは感心しない」
「それは……はい、ごめんなさい」
存外素直に謝ったのでちょっと驚いた。監督生は俺から本を受け取り、もう一度ありがとうございますと言った。
「それと、まあ、これは差し出がましいことかもしれないが、魔法史の課題はこの本では難しいと思う」
「えっ!?」
「おい、お前もうるさいんだゾ」と今度はグリムが監督生をいさめる。監督生はぱっと口を押さえて、周囲の様子を確認した。子どもっぽい仕草だ。
「この本は俺も読んだことがあるが、歴史上の出来事の上っ面をなぞったものだ。これでトレイン先生の課題を突破するのはおそらく難しい」
「どういうことなんだゾ、エースはこれがいいって言ってたのに」
それはおそらくからかわれているのではないか、と思ったが言わなかった。エースのことだから、自分は上級生にあたってちょうどいい本を見つけているに違いなかった。
「課題はなんだったんだ?」
「魔法石の発見が魔法の発展にもたらしたものについて、です」
「ああ、それか」
似たような課題を一年生のころカリムがやっていたのを思い出す。さすがのトレインも毎年まったく違う課題を出すわけではないらしい。
「ひとつかふたつ向こうの棚にいい資料がある。そうだな、『魔法石の効用』あたりなら詳しい話が載ってるだろう」
「探してみます。ご親切にどうもありがとうございました」
監督生が頭を下げ、グリムにも挨拶を促そうとしたが、グリムはすでに俺が示した本棚に向かったのか姿を消していた。監督生は「ひえっ」とどこから出たのかわからない変な声を出した。
「本当にすみません……あとで厳重注意のうえツナ缶没収の刑に処しますので……」
「ツナ缶……?」
申し訳なさそうに何度も頭を下げる監督生を「もういいから」となだめ、なんとかその場をあとにした。構うべきじゃなかったかもしれんと思いながら。
監督生に少しだけ興味が湧いたのは事実だった。噂が流れていたころは、ものめずらしさから注目されていたにすぎないだろうが、噂が消えたあともハーツラビュルやサバナクローの寮長にまで構われている監督生は、一体どういう人物なのか。実際話してみたらどうってことのない、どんくさくて頭の弱そうな男だった。魔力がないから箒にも乗れない、体力もなさそうだし、エースの戯言にもまんまと騙される。ああ、いや、そういえば女なんだったか。果たして女らしいところがあったかどうか、思い出してみるが、どうしても対抗馬にポムフィオーレの一年生が出てくるとわからなくなってしまう。強いていえば、声に女らしい響きがあったかもしれない。でもそれだって言われてみればというレベルの話であって、これひとつとって女だと言い切ることは俺にはできなかった。つくづく謎の多い人物だ。男だと認識されるように魔法でもかけているのか? それなら俺以外の人間も監督生を男だと思っていることになるが……いや、これ以上はやめよう。あれに構うより有意義なことは正直いくらでもある。これからは無視して過ごそう。そう決めたのだが、やはりフロイドが監督生に絡んでいるのを見ると絞められているのか? と目が追ってしまうのだった。残念だが、これはしばらくやめられそうになかった。