金一封を差し上げます。 08
「イオ、こないだのファンレター読んだ?」
部室に入るなり、立は硫黄にそう尋ねた。
ある程度予想できていた質問だったが、硫黄は立を一瞥するだけにとどめた。いかにも興味津々といった顔をしている立は、きっと悪気なんてものは持ち合わせていないんだろうが、他人のプライベートに対してのフットワークが軽すぎる。とはいえ、クラスメイトのいる教室で言い出さなかっただけ、立にしてはまだ理性があった方と思われる。
「俺も気になるな、それ」
「下世話だよ、煙ちゃん」
すでに部室にきていた煙と熱史が言う。硫黄はどちらかといえば熱史寄りの立場だった。正直、読むのも億劫で封すら開けていないのだが、それを答えたところで追及は終わらないだろうから、硫黄はノーコメントを貫くことにしていた。
「みなさん、そのことでお話があります」
部室の奥で横たわっていた俵山先生が急に起き上がって口を開いた。予備動作もなく、一体どんな腹筋をしているのか理解に苦しむ。顔色が悪いので、腕の中に収まったウォンバットの体毛がより鮮やかに見えた。どう見てもホラー現象以外のなにものでもないが、もはや防衛部メンバーにとっては見慣れた光景だった。無論、好きこのんで見慣れているわけではない。
「話?」
立が椅子に鞄を置きながら問うた。硫黄もそれにならって荷物を置く。中からノートパソコンを取り出して電源を入れた。
「身勝手なお願いでまことに恐縮なのですが、先日助けた女子生徒に、もう一度会っていただけないでしょうか」
俵山先生は立ち上がり、まっすぐ硫黄を見ている。こういうとき、視線を俵山先生と合わせるべきなのか、ウォンバットに合わせるべきなのか迷ってしまう。しゃべっているのはウォンバットなのだから、ウォンバットに合わせるのが正解だというのは理解できるのだが、いかんせんウォンバット含め動物と会話した経験など皆無に等しいので、俵山先生にも視線がいきがちだ。硫黄はすこし視線をうろうろさせて、結局ウォンバットに視線を合わせることにした。
「いままでみなさんにお話したことはありませんでしたが、実は、怪人に変えられてしまった人も含め、怪人の被害にあった人々には、あとから高度な科学技術で記憶操作をほどこしていたのです」
「な、なんだって-!」
煙が間髪入れず大きい声をあげたので、立が耐えきれずに笑った。
「由布院先輩いまの絶対スタンバってたでしょ」
「実は、って言い出したから準備しておこうと思って」
立につられて熱史と硫黄も笑ってしまっていた。有基はまだ部室に姿を現していない。
「まあでもそうだよね。わけのわからない怪人とモザイク顔の集団が暴れ回ってた記憶なんか、ないほうがいいに決まってる」
「その人の人生にとって悪影響にもほどがありますからね」
全員でうんうんとうなずき合う。もはや高度な科学技術に対するツッコミはなかった。現実の空間にモザイクなどの加工処理をし、俵山先生を仮死状態のまま連れ回している現状を鑑みれば、記憶操作くらいできてもおかしくない。あれだけ何度も怪人騒ぎがおきながら、眉難高校の生徒たちが平穏そのものなのがその証拠だろう。
「例の彼女は眉難高校の生徒ではありませんので、記憶操作のために接触する機会がないのです」
「あれ? イオに手紙渡しにきたとき会わなかったっけ? あのときやっとけばよかったのに」
「あー」
立の言葉に、煙がばつの悪い顔をする。そういえばあのとき、ウォンバットは煙の手によって押さえつけられていたのだったか。記憶操作などしている余裕もなかったのはうなずけた。
「べつにあのときウォンバット隠し通す必要なかったんじゃねーか」
「記憶消せるんだったらねえ」
「はやく言えよなそういう重要なことは」
口々に身勝手な文句を言い出した防衛部に、ウォンバットが「あんまりやおまへんか!」と独特の訛りで怒り出した。俵山先生の腕から飛び出したため、コントロールを失った俵山先生が背中から勢いよく床に倒れ込む。おそろしい映像だ。
「わいかて好きこのんでやっとんのとちがいまんがな!」
「わかったわかった」
「悪かったって」
こういうときは、とにかく謝るに限る。早速熱史と立がウォンバットをなだめる。「それは一体どこの方言……」という煙の好奇心は熱史が「煙ちゃん、シッ」の一言で封じた。
「ええと、つまり、イオにファンレターを渡したあの女の子に、もう一回会いたいってわけ?」
ウォンバットはしばらく怒りを抑えきれず荒い息を吐いていたが、やがて冷静さを取り戻し「そうです」とうなずいた。
「そういうことなら、協力したほうがいいんじゃね?」
立がそう言って硫黄の背中をぽんぽんと叩く。渋い顔をしているのがばれたのだろう。たしかに、正直なところ乗り気ではなかった。立をはじめとした防衛部のメンバーも、例の女子のために一肌抜いでやろうという気概のようなものは感じられない。彼らの思惑はただひとつ、ウォンバットをこれ以上刺激しないことに尽きよう。硫黄もそれには同意するが、状況が状況である。主体的に動くはめになるのはまず間違いなく自分だった。だからみんな一様に硫黄を見つめているのだ。唯一彼女につながる手紙を持っているのが自分だとは、嘆かわしいことである。
硫黄は胸中でさまざまなものを天秤にかけたが、ことウォンバット関係においては考えるだけ無駄なケースを何度も経験していたため、やむなく白旗を振ることにした。
「で、私は具体的になにをすればいいんですか?」
硫黄の降伏宣言に、ウォンバットは「鳴子さん……!」と感極まった様子だ。ウォンバットが腕の中に戻ったので、俵山先生が再び動き出す。硫黄はいまの自分の感情として、ネットで見たチベットスナギツネという動物の顔を思い浮かべていた。
「まずは彼女とコンタクトをとる必要があるよね」と、熱史が真っ先に方針を打ち出す。
「イオ、例のファンレターに連絡先とか書いてなかったか?」
「ファンレターに普通連絡先なんか書きます? サマジョっすよ?」
「サマジョに対するその偏見はなんなんだよ」
「えーっ? サマジョといえばハードル高そうじゃないすか。そう簡単に連絡先書くかなあ」
「ファンレターの中身はまだ読んでいませんが、たしか封筒に住所が書いてありましたよ」
彼女の連絡先に議論が及び、硫黄はしかたなく口をはさんだ。
一般的な手紙であれば、表に宛先の住所と氏名があり、裏に差出人の住所と氏名が記載されているものだ。ただし、彼女が書いたのは相手に直接手渡しするファンレターである。一般的な手紙と同じように外から見えるところに住所を書くのはいささか警戒心に欠けているといわざるを得ない。百歩譲って中身に書くならまだしも、と思ったが、果たしてそれもどうなのだろうか。仮にも渡すのは異性であり、通っているのは男子校だ。個人情報を明け渡す相手としては信用が足らない。
「というか、このあいだ住所書いてあるの見たでしょう、立」
「アレッ!?」
「名前と一緒に書いてありましたよ」
どうやら立の頭からは住所の記憶はなくなっていたらしい。まあ、立の女性との交友関係において、住所を使う機会はそうそうないだろうから、さして重要な情報ではないのだろう。
「住所かあ。それはそれでサマジョっぽい」
「中身にメールアドレスでも書いてありゃいいけどな」
住所しかわからないとなれば、連絡手段は手紙ということになろうか。
「とりあえず、今日家に帰って中身を確認しますよ。詳しいことは明日以降にしましょう」
結局、手紙の中を確認しても、住所と氏名以上の情報は出てこなかった。相変わらず、手紙の本文は読む気にならない。
「で、手紙の返事は一体誰が書くんです」
「順当に考えればイオなんじゃない?」
「私である必要性がどこに? 女性に接触することを考えればもっと適切な執筆者はいるはずですが」
「えっ、それってもしかして俺!?」と、立が声をあげた。
「そこで真っ先に自分が出てくるとこ、ほんと尊敬に値すると思うわ」
煙のぼやきはさておき、硫黄はとにかく返事を書かされることだけは御免被りたかった。すでに矢面に立たされることが確定している以上、さらに負担を強いられるのは納得がいかない。この際他人が書いたことで手紙の内容が人格崩壊状態になったとしてもやむを得まい。ウォンバットに交渉して、硫黄が書いたことになっている返事の記憶も消し去ってしまえばいいのだ。
「いや、せっかくイオ宛のファンレター書いてくれてるのに、返事を書くのが別人っていうのは、さすがに倫理的にどうよ……」
「目的が目的ですから、書くのが誰であろうが倫理的ではないと思います。倫理的かどうかよりも、確実に彼女に接触できることを優先すべきでは?」
「つっても俺手紙なんか書いたことないけど」
「それはこの場にいる全員に言えるだろ」
「俺書いたことあるっすよ!」
部室の奥でウォンバットをモフっていた有基が、自慢げな顔で話に入ってきた。昨日はひと通り議論が済んだあとに部室にやってきたので、話の経緯を一切知らない。ウォンバットはすでに事後の様相だ。ひそかに合掌する。
「小学生のときに、文通したことあるっす!」
「マジかよ」
「文通なんてどういうきっかけでやるんだよ」
「強羅あんちゃんが、引っ越しちゃったクラスメイトと文通してたことがあって、それ見て俺もやりたい! ってお願いしたんすよ。そしたら文通コーナーやってる雑誌探してきてくれて」
「文通コーナーってまだやってる雑誌あるんだ」
「たしかに」と熱史が同意する。昨今は個人情報の扱いが難しく、文通コーナーと呼ばれる文化が廃れて久しい。
「手紙書くなら俺に任せてくださいっす!」
胸を張る有基に、立が「なあなあ、それって女の子?」と尋ねている。仮に女性と文通できたとして、直接会えるかどうかわからないどころか、そもそも本当に女性かどうかすら確認のしようがない。非常にリスキーだ。立にはもっと手軽な手段があるわけだから、あえて選ぶ選択肢ではないように思うが、多少好奇心があるらしい。
結局立はすぐに飽きそうだなと思いつつ、返事の内容は有基に任せることにした。多少不安はあるが、最終的に出すのは硫黄だ。あとから手を加えても問題あるまい。
「どういう内容で書けばいいんすか?」
「無難に感謝の手紙でいいでしょう」硫黄はそう言ったが、実際手紙は読んでいないのだった。
煙と立がネットで調べてみたが、一般的にファンレターの返事はくるのかどうかだとか、返事がくるファンレターの書きかたが出てくるばかりで、肝心のファンレターの返事の書きかたは出てこなかった。「ファンレターもらう立場の人がネットに返事の書きかた求めないでしょ、普通」と熱史が呆れたように言う。
「クークル先生ならなんでも教えてくれるって信じてたのに……」
「裏切られた気分っすわあ」
検索エンジンと知恵袋に過剰な期待を寄せるのは現代人の悪い癖だ。
「おれ、すげえかわいい切手持ってるんすよ! 明日持ってくるんで、封筒に貼るっす!」
「はあ。まぁ、どうぞ好きにしてください」
「えっそこチョイスできるんなら俺にレターセット選ばせてくれよ!」
「おっ、じゃあ今日帰りに買いいこうぜ」
「ふたりとも、一応イオの名前で出すものなんだから、ちゃんと考えなよ」
熱史が防衛部の良心であることは間違いなかった。べつに断る理由もないが、こうなっては硫黄もその買い物についていかざるを得ない。
「自分用にもレターセット買っちゃおっかな」
「え、どういう風の吹きまわし?」
「女子って手紙好きじゃないっすか。カナやんの歌でも言ってたし」
「お前東野カナエ聴くの?」
「カラオケで女子が毎回歌うんすよね」
「なーるほど」と、煙は複雑そうな顔だ。あまり得意なアーティストではないのだろう。
「たしかに、手紙で謝罪すると許してもらいやすくなるかもしれませんね」
「マジ!?」
立は過剰に反応を見せ、「レターセットっていくらすんの?」とスマートフォンで調べている。これは本気で買うつもりだ。口で謝っても許してもらえない女子に心当たりがあるらしい。手紙を書いてまで許してほしいと思うのであれば、はじめから諸々の素行を控えればいいものをと思うが、立には立の価値観がある。彼といい友人でいるための秘訣は、原則放置の一言に尽きた。なお、硫黄といい友人でいるための秘訣は、原則放置と、金を借りないことである。立はきちんとそれを実行してくれる。
異様な盛り上がりを見せる部室の隅で、硫黄はこっそりウォンバットに尋ねた。
「高度な科学技術で居場所の特定くらいできないんですか? そこに偶然を装って近づけば、簡単に接触できると思いますが」
ウォンバットは「ぷひょ」という謎の鳴き声を発したあと、「そんな非倫理的な行為はできません!」と怒ったように言った。人ひとりを仮死状態にして連れ回すことは倫理に反しない行為であるらしい。バッチリ日本国の刑法は犯しているくせに。硫黄は再びチベットスナギツネの顔を思い浮かべた。