金一封を差し上げます。 07


 消しゴム怪人を撃退したその帰り道、例のごとく黒玉湯に寄っていこうかと話していたところだった。通り過ぎかけた電柱の陰から「あの! すっすみません!」という上ずった声がして目を向けると、そこには先ほど消しゴム怪人に捕まっていた狹間野女子高等学校の生徒がまっすぐにこちらを見つめていた。
 ぎょっとしたのはおそらく硫黄だけではない。この場にいる全員が、今とは別の姿を彼女に見られており、一部は会話まで交わしている。有基の腕の中にいたウォンバットが、煙の手によって隠すように煙の背後へと連れ去られた。まさしく英断だった。有基は一瞬で自分の腕の中から消えたウォンバットに、「あれ? ウォンさん?」と目をきょろきょろさせている。
 瞬時に有基を除いた全員がアイコンタクトを送りあい、「初対面のふりをしなければならない」という認識を共有した。有基に関しては最悪機転でなんとかするしかないが、ウォンバットの存在さえうまいこと隠すことができればまだ道は開ける。
 彼女に対し口火を切ったのは鬼怒川だった。
「どうしたの? なにか用?」
「ぼ、防衛部の鳴子硫黄……さん、ですよね」
 名指しされ、硫黄は思わず立と顔を見合わせてしまった。まさか「二度と会わないことを祈ってますよ」「そうですね」などと和やかに会話した相手が、ほんの十数分後に自分を訪ねてくるとは、まったくの想定外であった。再び彼女に視線を向けると、なぜかすっと目をそらされる。
「たしかに、私が鳴子硫黄ですが」
 彼女は硫黄から目をそらしたまま、「あの」だとか「その」だとか、それに類する言葉をいくつも口にした。もごもごと口ごもる姿は、怪人の手に捕まりながらも見事に啖呵を切った彼女とは似ても似つかない。先ほど助けられたフリル衣装の五人組と硫黄たちが同一人物であることには、かけらも気がついていないということの証左だった。変身しているときは高度な科学技術で顔も声も加工が施されているのだから、当然といえば当然だ。硫黄は多少落ち着きを取り戻して、彼女の返答を待った。
「わたし、えっと、あなたのファンで……」
 ファンという単語がにわかには理解しがたく、疑問符を浮かべていると、熱史が小声で「マス研のあれじゃない?」と言った。ようやく合点がいったものの、今度は「なぜ自分に?」という新たな疑問を抱く。
 マスコミ研究会による企画で発足したネットアイドルグループ「地球防衛部」。カレンダーが完売したことは知っていたが、煙が聞いたという買い占めた人物の存在を考えると購入した人間はそこまで多くないはずだ。そんな駆け出しどころかスタート地点に立っているかどうかも怪しいグループにファンがいるということ自体、マス研には悪いが信じがたい話だった。もし仮にいたとしても、五人の中で目を引くのはやはり立と煙の二人だろう。少なくとも、硫黄は飛び抜けて目立つ容姿をしているわけではない。立を訪ねてくるならまだしも自分を訪ねてくるなんて、とんだ物好きもいたものだ、と思う。
 物好きな彼女は、硫黄に対して頭を下げて一通の封筒を差し出した。一見して手紙であることがわかる。淡い色の花で縁どられたデザインの封筒は、近所の文房具屋では手に入りそうもない上品さがあった。怪人を相手にしていたときは考えなしともとれるやんちゃな振る舞いが目立っていたが、やはり裕福な家に育っているのだろう。
「ご迷惑でなければ、受けとってください……!」
 声が震えていた。手紙を持つ手も震えている。硫黄は彼女のつむじをじっと見つめて、それから両手を伸ばした。自分の手から手紙が離れたことに、彼女は驚いたようだった。はっと顔を上げて、やっと目があう。眉を下げて、口をぱくぱくと動かしている。ただでさえ上気していた頬が、さらに先があるのかと驚きを覚えるほど赤い。
「ありがとうございます」
 目をまんまるにしていた彼女は、硫黄の声を聞いた瞬間弾かれたようにこちらに背を向けてしまった。
「そ、それだけです! 失礼しました!」と、捨て台詞のようなものを残し、彼女はそのまま眉難高校へと向かう階段をのぼっていく。追いかける理由もなかったので、硫黄はほかの四人と並んでその背中を見送った。
 彼女が階段をのぼりきったころ、真っ先に声を出したのは立だった。
「ファンレター! ファンレターだ!」
「大きな声で言わなくてもわかりますよ」
「そっか、ファンレターか……俺いま完全にラブレターって認識してた」熱史が胸を押さえている。煙が「俺も」と同意した。
「イオのファン第一号だな。大事にしろよ」
「はあ」
 そもそも地球防衛部は今後再び活動するかもわからない存在だ。彼女がそんなもののファンでいつづけることは、あまりにも不毛な気がした。手紙を受け取ったのだって、ほかに選択肢がなかっただけで、彼女の手紙という形であらわれたなにかまで受け取るつもりはなかった。
「そろそろ離していただけませんか!」
「あー、悪い悪い」
「ウォンさん、そんなところにいたっすか! 探したっすよ!」
 煙の背後でウォンバットが暴れ出したため、煙は後ろ手で押さえつけていたウォンバットを解放した。すぐさま有基の腕に捕獲される。つかの間の自由だった。
「まさかあの子に二度も遭遇するとは」
「あーしまった。デート誘えばよかった」
「お前はメンタルが強すぎる」
「あの空気で普通誘える?」
「サマジョの女の子とはまだ遊んだことないんすよね」
「イオにあの子の連絡先教えてもらえば」
「ファンレターに連絡先書くかな?」
「そもそも自分のファンをリュウに売ったらだめだよ。かわいそうでしょ」
「売るだなんて人聞き悪いこと言わないでくださいよお」
「女性の連絡先をそんな雑に扱いませんよ」
「あっ、あの子名前なんてーの?」
 立が硫黄の手の中にある手紙を覗き込もうとする。煙が呆れたように「そーいうとこだよ」とこぼした。手紙の表には「鳴子硫黄様」と宛名が書かれていたので、差出人の名前を見るために手紙を裏返す。




* * * *



「……です」
 阿古哉は苦虫を噛み潰したような顔で言った。燻から「なんて名前だっけ、あの子」と問われたから答えたのに、燻は「そんな顔をするもんじゃないよ」と笑っている。そんな顔をさせた張本人がまがりなりにも先輩であるので、阿古哉はしかたなく口をつぐんでいた。
「知り合いなんでしょ」
「不本意だと前にも言いませんでしたか」
「狭間野の生徒のどこが不本意なのか僕にはわからないな」
 帰路を歩きながらそんな話をしていると、すぐ前を歩いていた錦史郎が振り返った。
「先ほどの女子生徒は阿古哉の知り合いだったのか」
「不本意らしいけどね」
 常に微笑みを浮かべていて表情を読むのが難しい燻だが、この顔がおもしろがっていることはさすがにわかった。悪趣味なことだ。
「そうか」とつぶやいてから、錦史郎は少し間を置いた。「怪我がなさそうでよかった」
「…………そうですね」
 阿古哉は何度目かわからない不本意な言葉を口にした。錦史郎の場合、悪気がない分なおさらたちが悪い。彼は基本的に嘘をつかない。本気で後輩の知り合いを巻き込んだことを申し訳なく思っているのだろうし、怪我がなかったことに安堵している。阿古哉から言わせれば、あれだけ釘を刺したにもかかわらずのこのこやってきたの過失以外のなにものでもなかった。
 阿古哉のクラスメイト、五牟田芥子郎(ごむたけしろう)を怪人化させる計画は結局またしてもバトルラヴァーズによって阻まれてしまった。だいたい、購買部を襲撃したあと校外に出てしまった時点で計画はほとんど破綻していた。阿古哉たちの目下の目的はこの眉難高校の生徒たちを支配下におくことであり、学校の敷地外で暴れられたところで阿古哉たちに利するところはないのだ。
 その怪人がコンビニエンスストアを襲撃した際、なぜかが鉢合わせたうえに捕獲されてしまい、阿古哉は心底怒り狂っていた。以前彼女が眉難高校に忍びこんだとき、阿古哉は全霊の軽蔑でもって対応したはずだった。阿古哉だって、彼女がまったくの無能だとは思っていない。むしろきちんとした分別を持っている部類の人間だと評価している。だから阿古哉は、あれで彼女が自分を省みて行動を変えるのであればそれでよかったのだ。学習できる人間は嫌いではない。性懲りもなく愚行を繰り返したという点が、阿古哉には到底許すことができなかった。
「僕にハンカチを返しにきただけかもしれないだろ?」と、燻が小声で言った。が校内に忍びこんだことは、結局錦史郎には知らせていなかった。
「なぜわざわざ? 僕に渡せば済むことでしょう」
「うーん、僕のことが好きになっちゃったんじゃない?」
「は?」
「あはは、冗談」
 心底おかしくてしかたがないという声音で燻が笑うのを、思わず「こいつ正気か?」という目で見つめる。
「顔がこわいよ、阿古哉」
「冗談にしたって趣味が悪すぎます。そんな下心で有馬さんに近づこうとしているなら、なおのこと許せない」
「阿古哉は潔癖だなあ。女の子が好きな人に借りたものを直接返したいなんて、かわいいもんじゃない」
「有馬さんはうれしいんですか?」
「悪い気はしないよね。その気持ちに応えられるかどうかはともかくとして」
 かけらほども理解できない感情だった。ためしにが燻にハンカチを返しにくる姿を思い浮かべて、阿古哉は眉間にしわを寄せる。重たい不快感が増すだけで、理解できる日がやってくるとは思えなかった。ありえない。あってはいけないことだ。頭を軽く横に振って、の姿ごとその想像をかき消した。後輩が不愉快な思いをしているというのに、燻はのんきに「阿古哉にはまだ早い話だったかな」などと言っている。
「あれ、誰か座りこんでない?」
 燻の言葉に、阿古哉は顔を上げて前方を注視した。たしかに、座りこむというか、うずくまっている人影がある。服装からすると女性のようだ。そこは眉難高校へ続く長い階段をのぼりきったすぐの道で、もしかすると階段で怪我でもしたのかもしれなかった。
 すぐさま錦史郎が駆け寄り、燻と阿古哉もそれにならう。彼女は体育座りのような格好で、顔をうつむかせている。
「体調でも悪いのか」
「あっ、いえ……」錦史郎の言葉に反応して彼女は顔を上げた。「ただちょっと気持ちの整理を」
 現時点において最も会いたくない女の顔に、阿古哉は素直に「げっ」と声を出した。まさに話題に上がっていた張本人であるは、ハンカチ(燻のものではない。女性物だ)を目の下にあてていた。驚くことに、泣いている。錦史郎は彼女が怪人に捕まっていた女子生徒であること、そして泣いていることに驚いたようだった。も錦史郎の後ろに立つ燻と阿古哉の姿に驚いていて、その場にいる全員に一瞬の沈黙が落ちた。
 真っ先に動いたのはだった。「すいません!」となぜか謝罪をしながら勢いよく立ち上がる。錦史郎が気圧されるように一歩身を引いた。
「これ、お返ししなきゃいけないですよね」
 そう言いながら、かばんの中から小さな包みをとりだした。厚さから考えても、おそらく燻が以前に貸したハンカチだ。包装紙に包まれたそれは母親の指導の賜物であることがうかがえる。の母は伝統やマナーといったことにうるさいたちで、ハンカチ一つ返すにしてもいろいろと気を揉んだのだろう。阿古哉の母とは学生時代の同級生で今でも仲がよいが、いささか奔放ともいえるあの母とどうして付き合っていられるのかはよくわからない。
「ありがとう。別にここまでしてくれなくてもよかったのに」
「いえ、そういうわけには」が頭をさげる。「あのときはありがとうございました、助かりました」
 ハンカチのことではないな、と阿古哉は思った。が校内に侵入したのを見逃してくれたことか、あるいは阿古哉との口論に割って入ってくれたことに対するものだろう。阿古哉としても、あのまま燻が乱入しなければどうなっていたのか皆目見当もつかなかった。阿古哉が覚えている限りにおいて、が阿古哉に対してあそこまで反抗したことはないからだ。冷静に振り返るとなぜごときに反抗されなければならなかったのかと苛立ちを覚えるが、当時は不意を突かれたというのもあって困惑が先に立ってしまったのだった。思い出せばまたあの重たい不快感がもやもやと頭をもたげてきた。まったく不愉快な女である。
「会うたびに泣いてるところしか見てないけど、今回は触れないほうがいいのかな?」
「えっと、ほんとくだらないことなので、お気持ちだけで……」
 まだ少し鼻声だ。目も赤い。
「すみません、ご心配おかけしました。帰ります」
「送ろうか?」
「家に連絡するので大丈夫です」
「そう、気をつけてね」
 は錦史郎にも「気にしていただいてありがとうございます」とお辞儀をしてから、「失礼します」と言い残して背を向けた。階段は下りないらしかった。駅までは遠回りになるが、家に連絡するというのなら迎えがくるのだろうし、それでいいのだろう。
 錦史郎と燻がこちらを見つめている。
「…………なんですか?」
「本当に彼女と知り合いなんだよね?」
 燻にそう問われて、阿古哉ははじめてと言葉を交わすどころか、目があうことすらなかったことに気がつく。
「いつもあんなものですよ」
 それ以外に言葉が見つからなかった。