金一封を差し上げます。 06
は着ぐるみの腕の中でにわかに冷静さを取り戻しつつあった。現実から目を背けているあいだに、場所は屋外に移動しており、そのうえ着ぐるみとヒラヒラ衣装男が思いのほか物理に頼った戦いを繰り広げている。ファンシーなデザインの杖を振り回し、ひたすら着ぐるみを殴打しようとする様は夢のかけらもなかった。着ぐるみが杖で殴打されるのを避けようと体をひねるたびに、遠心力での体が投げ出されそうになる。腹に回った着ぐるみの腕が苦しい。いい加減解放してほしかった。
着ぐるみが狙っているのは、どうやらが持っている消しゴム(新品未開封、未会計)のようだった。あの五人組の話を総合すると、新品の消しゴム狩りが横行しているらしい。着ぐるみが新品の消しゴムを求めて暴れまわるとは、この近辺の治安は一体どうなっているのか。さらにいえば、このタイミングで消しゴムを紛失した上に、わざわざ眉難高校近くのコンビニで調達しようとして着ぐるみに捕まった自分はなんて運が悪いのだろう。
一度目の訪問では鳴子硫黄を拝むことしかできず、二度目の訪問では自業自得とはいえ幼馴染にボロクソに言われ鳴子硫黄に会うことは叶わなかった。三度目の今回、会うだなんて贅沢はいわないから、せめて一目鳴子硫黄を拝ませてはくれないだろうか。
「だー! 避けるばっかりじゃん! 戦う気ねーのかよ!」
杖を何度も空振りさせていたピンクのヒラヒラ衣装の男が地団駄を踏んでいる。その所作はかなり子どもっぽく、体格から判断しても少年という表現がより的確と思われた。
「かっこよく女の子を助けたいんだから、もっとスッと倒されろよ!」
めちゃくちゃなことを口走りながら、またその足が地を蹴って着ぐるみとの距離を詰めた。その瞬発力たるや、およそ人間とは思えなかったが、着ぐるみも着ぐるみで即座に反応しひらりと避けてみせる。意外と俊敏だ。
「せんぱーい! 今の惜しいっす!」
「ヴェスタ、まじめにやってんのかー?」
「いつもだったら倒しちゃってるのにね。女の子の前だから緊張してるとか?」
「彼に限ってそれはないでしょう。女性と接するのは息をするのと同じですよ」
「ちょっと! めっちゃ気ぃ散るんすけどぉ!」
彼が背後で思い思いに檄を飛ばすギャラリーを振り返ったとき、はじめて着ぐるみが自ら動いた。を抱えているのとは別の腕を、ゆっくりと振り上げる。「後ろ!」と、ギャラリーの一人が叫んだ。すんでのところで彼が跳びのき、振り下ろされたその腕はコンクリートの地面を直撃した。通常の着ぐるみではありえない、重い一撃だった。音と衝撃で息が詰まる。
「おいおい、隙をうかがってたってことかよ……」
モザイク処理されていて表情はわからないが、先ほどまでの無邪気な声とはうって変わって、真剣な声音がつぶやいた。饒舌だったはずの着ぐるみはなにも言おうとしない。
「あの、ちょっといいですか」
再び衝突するかと思われたタイミングで、はおずおずと手を挙げた。この機会を逃せば長くなりそうだったからだ。
唐突に発言の許可を求めたに、着ぐるみと少年は動きを止めた。モザイク加工された顔とはいえ、ギャラリーの視線も自分に集中しているのを感じる。
はずっと握っていた右手を開いた。未開封の消しゴムがのっている。
「この消しゴムをお渡しするので、わたしのことを解放してはいただけないでしょうか……」
着ぐるみの左右違う高さに縫いつけられた(本当に縫ってあるのかはわからない)逆三角形の目を見上げる。その表情を読み取るのは難しい。なにせ着ぐるみであるからだ。
「女の子が人質にとられるのもはじめてだし、人質が自ら怪人と交渉しようとしてるのもはじめてじゃない?」
「私たちがあまりにも頼りないからではないですか。五人いて一人しか戦ってませんし」
「つーかあれ人質なのか? だとしたら人質とられてるわりにヴェスタぼこぼこ殴りにいってたってことだけど」
「先輩は助けようとしてたんすよ!」
ギャラリーがなにごとかを話している。は着ぐるみの反応を見逃すまいと集中していて、その内容はほとんど頭に入ってこなかった。
やがて、着ぐるみは「なぜだ」とだけ言葉を発した。
「え?」
「お前は消しゴムが必要だったのではないのか? なぜそんなにもやすやすと手放すことができる?」
心の底から疑問に思っているような声だった。ここで返答を間違えれば、この腕に捕らえられたときと同様、怒り狂って手がつけられなくなる。は緊張の面持ちで口を開いた。
「探せばいつも使っている消しゴムが家にあるはずなんです。この消しゴムはそれまでの急場しのぎというか……」
「愛用の消しゴムがあるということだな」
「え? あー、まあ、そういうことです」は深く考えず同意した。
「愛用の消しゴムが見つかったら、この消しゴムはどうするつもりだったんだ」
「え、えっと……」
捨てる予定だったが、さすがにその返答がまずいことはにもわかった。言いよどみながら考える。
「角を、角を使います! そう、角は使わないともったいないですもんね!」
言い聞かせるような言い回しになってしまった。自ら嘘だとふれまわっているようなものだった。着ぐるみは無言でじっとを見つめている。表情のない顔から発せられる威圧感に耐えきれず、はスッと目を逸らした。
「角を使い終えたら」着ぐるみの追撃がを襲う。
「え、そ、それは……その」続く言葉が見つからない。「ごめんなさい、たぶん捨てると思います……」
「諦めんのはやいな!」というピンクの人の言葉に、「すみません無理でした!」と答える。
嘘がつけないというのは友人たちにも散々指摘され続けたところであり、美徳という者もいれば短所という者もいた。この場においては間違いなく後者であった。はなんでこんなことに巻き込まれなければいけないのかという恨みを込めて「だって安物なんだもん……」とつぶやいた。
「あっ、また余計なことを……」
「愛用の消しゴムを紛失し、価格によって消しゴムの優劣を決めた上に捨てるとは言語道断! 消しゴムへの愛が足りていないぞ!」
「そんなこといったって、こうやって紛失する人がいなくなったら消しゴムの売り上げが下がるんですよ! どうするんですかメーカーが消しゴム作れなくなっちゃったら!」
「人質が逆ギレしはじめたぞ」
「気持ちは痛いほどわかる」
「文房具メーカーは消しゴムだけ作ってるわけじゃないから一概には言えないんじゃねえの」
「いろんな種類の消しゴムが並ぶことはなくなるんじゃないでしょうか」
「練り消しなくなっちゃうんすか!?」
「練り消しは一定の需要が保証されていますから、消えることはないと思いますよ」
「だいたい、布教するならともかくとして、愛は他人に強要するものじゃないです! 消しゴムの魅力をみんなに知ってほしい気持ちはとてもわかります。でも、あなたが消しゴムを愛しているならそれで十分じゃないですか! 消しゴムの魅力がわかっているのは自分だけ、消しゴムを愛しているのは自分だけ、上等だし最高じゃないですか! 魅力がわからない人間なんか鼻で笑ってたらいいんですよ! 優越感に浸ったらいいんですよ! それじゃだめなんですか!?」
はまた分別を失いかけている自覚があった。人前で大きな声を出すだなんて、淑女たれといわれるサマジョの生徒としてあまりにも品がない。母にも先生にも説教されるだろうし、阿古哉にはまた軽蔑されるだろう。でも、には我慢がならなかった。
こんなところで足止めされているうちに、鳴子硫黄が下校してしまったらどうするのだ。消しゴム愛を押しつけられたところで、の愛の矛先は変わらない。この手紙を渡すために、ここにくるために、どれだけの勇気と度胸が必要だったか。どれだけの葛藤があったか。この着ぐるみ、もとい他人にわかってもらおうとは思わなかった。これはだけのものであって、もし仮にの愛に触れていい人間がいるとすれば、それは鳴子硫黄ただ一人だろう。その鳴子硫黄にだって許されないことかもしれない。
「わたしの愛はわたしだけのものだし、あなたの愛はあなただけのもの。そこに踏み込んでこられるのは迷惑なんですよ!」
「黙れ! お前になにがわかるというんだ!」
「だから! わたしがあなたの愛を理解する必要なんかないんですってば!」
「知った風な口をきくな!」
着ぐるみは癇癪を起こし、腕の中に捕まえたを高く持ち上げた。遊園地のアトラクションに乗ったときのような浮遊感に襲われ、足場のない不安定さに思わず「ひい」という情けない声が漏れる。着ぐるみの動きは、を持ち上げたというよりは、振りかぶるような動きだった。このあとの動きは予想するまでもない。
着ぐるみはどこともわからない方向へ、人ひとりの体をぶん投げた。は宙へ投げ出され、目に映る世界が回転する。音は頭に入ってこなかった。そのまま重力に従い落下する。そのときを支配していたのはまず間違いなく恐怖であり、意識するまでもなく目をかたくつむっていた。
そして、はどこかに着地した。想像していたほどの衝撃や痛みがないことに驚いて、おそるおそる目を開く。目の前にモザイク加工された謎の空間があり、思わず悲鳴に近い声が出た。の世界に音が戻ってくる。
「自分の顔に対して悲鳴をあげられるとは。まあ無理もありませんが」
冷静な頭で考えると、それは先ほどピンクの人の後ろでわいわいしていたギャラリーのひとりであった。なぜ顔だけモザイク加工されているのか、どうやって加工しているのかは近くで見ても一切わからない。衣装の色は黄色だ。どうやら地面に衝突する前に抱きとめられたらしい。
「す、すみません……」と謝りながら、は背中や足に触れている腕を認識しはじめていた。まぎれもない、男性の腕だ。の体型に見合う平均的な体重を、しっかりとバランスを崩すことなく支えている。しかも、これはよく考えるといわゆるお姫様抱っこと呼ばれる体勢なのではないか。思いがけない異性との接触に、は急速に顔が熱くなっていくのを感じた。この際顔がモザイクなのはには関係がなかった。
「立てますか?」
彼はをゆっくり地面に立たせるようにおろすと、「せんぱーい! ラブシャワーするっすよ!」という声に「いま行きます」と答えてすぐ離れていってしまった。お礼を言う暇もなく、はその背中を見送る。
ヒラヒラ衣装の五人が、それぞれ所持している杖を掲げてなにごとかを唱えると、まばゆい光を放って一本の大きな杖となった。こういう演出を昔やっていた魔法少女もののアニメで見たことがあるような気がする。もう記憶が曖昧だけれど、だいたい似たような配色の五人組だった。そういえばあの配色、防衛部の五人も同じ色だったんじゃなかったか。
「ラブ、シャワー!」
ひときわ小柄な赤い衣装の少年がそう唱えると、なにもないはずの宙から大量のハートが現れ、着ぐるみに向かって土砂降りの雨のように降り注いだ。あまりの量に着ぐるみの姿は完全に視認できなくなる。やがてハートの雨がやむと、そこには着ぐるみの姿はなく、眉難高校の制服を着たひとりの男子生徒がへたりこんでいた。
「げっ、五牟田じゃん」
「知り合いか?」
「私たちと同じクラスの生徒ですね」
「あんな消しゴム思想の持ち主だったとは……」
ピンクの衣装を着た少年はうんざりしたように首を横に振ると、突然「そーだ!」と声を上げた。こちらを振り返り、走り寄ってくる。やはり顔はモザイクだ。後ろからほかの四人も歩いてくるのが見えた。
「君だいじょーぶだった? 怪我とかしてない?」
「はい。おかげさまで」
「もー、俺が助けてかっこいいとこ見せたかったのに、自分でやろうとしちゃうんだもんな」
「お姫様抱っこはサルファーにとられるしな」
「それ! ほんとそれ~!」ピンクの人は大げさに頭を抱えている。
「私がいちばん近かったんですよ。文句言わないでください」
「あの、危ないところを助けていただいてありがとうございました!」
そう言ってが深く頭をさげると、「えぇ!? 大げさだな~」と声が降ってきた。顔を上げると、モザイク顔が五つ並んでいる。相手は間違いなく男性だが、顔がわからないので自分でも驚くほど顔を見て会話できていた。有馬のときとは大違いだ。
「命を助けていただいたわけですから……。なにかお礼をさせていただけませんか」
「えっじゃあ俺とデートする!?」
「命を助けたのはお前じゃなくてサルファーじゃねえの」
青い人の発言を受けて、すかさず黄色の人が「私はデートしませんよ」と答える。先ほどから会話の中に彼らの名前らしき単語が出てきていることは理解できるのだが、耳慣れない響きなのでまったく頭に入ってこない。
「ていうかその格好でデートは絵面的にどうなの」
「あ、そっか。正体バラしちゃだめだったっすね。ごめん、デートはできなかった! ほんとごめんな!」と、ピンクの人は手を合わせた。
「日を改めて、というのも難しいでしょうか」
「うーん、人に会うためにこの格好したことないからわかんないな~」
「今この場で出せるものといったら現金くらいしかないんですけど……」
「現金」
「いやでもさすがに現金は失礼ですよね、すみません」
「私は商品券よりもキャッシュでほしいですけどね」
「今商品券の話はしてねーぞ」
結論の出ない話を続けていると、ピンク色の物体が突然ぴょんと視界に入ってきた。「ちょっとみなさん!」と、やけに渋い声でしゃべるその物体はよく見るとやわらかそうな体毛に覆われている。はピンクの体毛を持つ動物をフラミンゴ以外に知らない。少なくとも日本には生息していない種類だろう。顔はコアラに似ているが、体毛のインパクトが強すぎてフォルムではなんの動物か判然としなかった。いや、そもそも動物は人語を操らないのだが、状況が状況なのではそこに思い至らない。
「愛の王位継承者たるもの、助けた相手に謝礼を求めるなどあってはなりません!」
「言うと思った」
「そういうの、やりがい搾取っていうんだぜ」
「じゃあウォンさんがご褒美にモフモフさせるっす!」
五人の中で最も小柄な赤い人が、俊敏な動きでピンク色の動物をその手にとらえた。彼(動物に対してこの表現が正しいのかは不明だった。そもそもオスなのだろうか)は、ふわふわの毛並みを遠慮のない手つきで撫でまわされながらも、「見返りを求めてはいけないのです!」などとお説教じみた言葉を発している。周囲はその様子を見て「まだなんか言ってる」「いいぞ! やれやれー!」とはやしたてた。
「そういうことですので、お気持ちだけで結構ですよ」
愛玩動物の悲鳴をバックに、黄色の人が言った。
「でも、なんだか申し訳ないです」
「私たちは好きで人助けをしてるわけではないので」
ひどい言い草だった。黄色い人は少し考えてから、「ああ、今のは言い方が悪かったですね」と発言を改める。
「好きでこんな格好をしていると思われたら心外だったので、言葉を選びそこねました」
「お気持ちはなんとなくお察しします」
一体なにを察したのか、自分でもよくわからない。
「あなたも好きで捕まったわけではないのでしょうし。ここはひとつ、今日ここであった出来事をきれいさっぱり忘れるのがお礼ということで、いかがでしょうか」
「今日の出来事を?」
「一刻も早く忘れたいでしょう。こんな悪夢のような光景は」
すんなり同意するわけにもいかなかったが、無言で目の前の景色を眺めてしまったので、彼もこの感覚を察してくれたことだろう。着ぐるみにしろ、あの五人組にしろ、まったく現実味がなかった。手の中にある消しゴムを握りしめる。そういえば、まだ会計をしていないにもかかわらず、店の外に持ち出してしまっていた。あとで会計しよう。
視界の端に男性が倒れているのを見つけて、思わず二度見する。
「えっ、どなたか倒れてらっしゃいますけど」
「あっやべ」
ピンクの動物を構い倒していた四人のうちの一人がそう言って、四人と一匹はすぐに地面に倒れ伏した男性のもとに駆け寄る。
「ちょっとここから先はお見せできないから、そろそろお開きにしよーぜ!」
男性をから隠すようにして、ピンクの人が早口で言う。焦っている様子だった。顔にはモザイクがかかっているのに、お見せできないものを物理的な手段でから隠そうとしている。は不思議に思いつつも、素直にその場から離れることにした。
「それじゃあ、わたしは一旦コンビニに戻ります。まだ消しゴムの会計が済んでないので」
「もう二度と会わないことを祈ってますよ」
「そうですね」
は今度こそ同意してしまう。黄色の人がかすかに笑う気配がした。
コンビニの店員は、カウンターの陰から様子を伺っていたようだったが、入店したのがだと確認するとホッとした様子で姿を現した。文房具の商品棚が荒らされている以外、特に被害はなさそうだ。
「会計してないからって戻ってきたの? あんな目にあったのに律儀だなあ」
百円にも満たない会計を済ませて店の外に出ると、そこには誰もいなかった。人影どころか、着ぐるみがコンクリートに腕を叩きつけたあとすら、一切残っていない。
いよいよ夢を見ていたのではないかという気持ちになり、は手の中の消しゴムを見つめる。この消しゴムは、捨てられないかもしれない。