金一封を差し上げます。 02


 はなにごとも一人で抱え込むことのできないたちで、高校二年生になった今でも学校で起きたことは父母に報告せずにはいられなかったが、さすがにこればっかりは報告できないと思っていた。
「わたしはこのままストーカーになってしまうんじゃないだろうか」
 父母にも言えないことを打ち明けたに対して、友人は「自明ね」ときっぱり断じ、まったく慰めてくれなかった。クールに足を組んで考え込むような仕草をしている。さまになっているのがどうも釈然としない。
「幸運を祈る」と送り出してくれた友人には申し訳ないが、はついぞ鳴子硫黄に話しかけることができなかったのだった。鳴子硫黄の姿かたちを見た瞬間、は彼を鑑賞することに没頭してしまって、声をかけるとかそういった発想がどこか彼方に吹き飛んでいた。いまになって冷静に考えると、やはり鳴子硫黄は男子高校生のふりをした別のなにかではないかという考えがはじめからどこかにあったのだと思う。会うと決めたそのときから、実はの中では声をかけるという選択肢が無意識に排除されていたのだ。
「人はそれをドルオタと呼ぶのよ、」友人は冷静だった。「でも、は鳴子硫黄と話がしたいのよね?」
「そう。なんていうか、根っこのところは……きっと、近づきたい、なんだと思う。でも話もしないのに近づいたら、それってやばいヤツだろうし……。それなら、話ができる関係がいちばん無難なんじゃないかなって」
 いい表現が思い浮かばず、は言葉の途中でうんうん悩んだりして、ようやくそれらしい結論を出した。それでも、なんだか煮えきらないような感覚がある。友人は頬杖をついてを見つめていた。先ほどから品定めをされているような気がした。
 鳴子硫黄が自分を認識し、自分に対して言葉をかけるところなんてまったく想像もつかない。けれど、違和感なく彼に近づくには、言葉を交わす関係というものが必要不可欠だと思った。
「まず、鳴子硫黄をアイドルから人間にする必要があるわね」
「鳴子硫黄はやっぱり人間じゃないの?」
「あなたのその認識を変えようって話よ」
 机の上に置かれた友人のスマートフォンが震えた。友人が一瞥する。にも画面が見えたが、メールの着信のようだった。視線を友人に戻すと、彼女の表情が限りなく無と化していた。機嫌が極限に悪いときにする表情だ。
「どうしたの」
「マスコミ研究会のあいつがね、しつこいの」
 友人はそれだけしか言わなかった。マスコミ研究会の城崎とやらは、友人がここ最近でいちばん嫌悪の対象としている人物だ。友人はこんな性格だから、大人げなく(未成年なのだから当たり前だが)敵意をむき出しにすることがよくあるけれども、ここまでひどいのは久しぶりだった。
「それで、話の続きだけど」
 視界に入れたくないとばかりにスマートフォンを鞄の中にしまい込み、友人が言った。
「ラブレターを書きましょう」
「は?」
 ラブレターというか、とにかく手紙だ。顔を合わせると話せないのなら、手紙で交流を図るしかない。
 というのが友人の言だった。
「ただし、ファンレターはだめ」
「どうして」
「ファンレターは返事を期待して書くものじゃなくて、どこかで諦めながら書くものなの。だからあなたは、絶対に返事を諦めて書いてはいけない。返事がくる前提で書きなさい」
 は「ふむ」とつぶやいて、机に広げていた数学のノートのすみっこに「絶対に諦めない」と書いた。本来手紙とは往復するのが前提なのだから、返事がくる前提で手紙を書くなんてことはたやすいように思う。いま頭を抱えている数学の勉強に比べたら、よっぽど簡単だろう。はノートの罫線に沿って、ベクトルを表す矢印を書き込んで、やっぱり頭を抱えた。
「ベクトルを諦めたい」
「だめ」
 友人はやはり冷たかった。

 
 帰宅したは、母にきれいな便箋を分けてもらって、早速手紙を書くことにした。母は海外に住んでいる親戚によく手紙を書いていて、さまざまな便箋を集めているのだ。なぜ便箋がほしいのかと問われたので、「最近クラスで流行ってるの」と答えておいた。母は感心したようにうなずいていた。
 いきなり書くのは難しいので下書きをしようと余ったノートを開いて、手紙の書き出しを考える。やはり手紙の書き出しといえば「拝啓」だが、気取った感じがするだろうか。いや、拝啓よりなによりまず先に宛先を書く必要があるんじゃないか?
 はノートの一番上の行に「鳴子硫黄様」と書いた。真っ先に、字のバランスがよくないと思った。せっかく手紙を書くのだから、きれいな字が書きたい。は何度か「鳴子硫黄様」の五文字を書き連ねてから、うーんと唸った。何度書いたところで変わらない上に、冷静になるとノートに鳴子硫黄の名前がいくつも書いてあるのはすこし恥ずかしい。
 字をきれいに書くことは諦めて(きれいに書くことより丁寧に書くことが大事だと現代文の先生が言っていたのを思い出したのだ)、は改めて本文を書くことにした。まずは自己紹介をして、それから、彼のことを知ったきっかけを書く。こうして手紙を書こうと思った理由まできっちり書いておいた方がいいだろう。だって彼は、のことをまったく知らないのだ。はすらすらと本文を書き出していた。この調子でいけば明日にでも清書が済むのではないかと思われた。
 ところが。
「返事を前提にした手紙なんて無理じゃない?」
「言うと思った」
 数日後の学校である。は机に頭を横向きにのせた状態で弱音を吐いた。頭上から友人の声が降ってくるのを悲しい気持ちで聞く。
 のラブレター執筆は難航していた。何度書き直しても、最終的に鳴子硫黄の美しさを語ることに終始してしまい、返事を要求するどころではなくなるのだ。相手の主に顔をべた褒めするポエムに近い文章の締めくくりに「お返事お待ちしています」と書くのはさすがにためらわれた。ここ数日で急速に失われつつあるの常識の欠片が、なんとかふんばってくれていた。かといって、鳴子硫黄の顔を褒めないでどうやってこの気持ちを伝えたらいいのかもわからない。それ以外にすべがなかった。
 の数学のノートには、ぐちゃぐちゃになった数式と、「鳴子硫黄」の四文字と、「おへんじください」という情けないひらがなが好き勝手に踊っている。友人がそこに「絶対に諦めない」を書き足した。整った字だ。さぞ手紙映えするだろう。
「このままストーカーを続けてヤバイやつになるか、諦めずに鳴子硫黄と交流を試みるか、道は二つに一つ」
「つらい」
「シンプルな定型文にしちゃえばいいのに。『はじめて見たときから好きです。よければお返事ください』って」
「ラブレターに定型文なんて概念を持ち込んだらだめだよ! 愛に定型なんてないんだ……」
「あらそう」
「でもたしかに、個性を出そうとするのがよくないのかもしれない」
「個性を出そうとしてたの?」
「こんなにあなたのことを好きな人間はこのわたしをおいて他にはいないんだっていうアピールが必要だと思って……」
「重すぎない?」
「軽いよりはいいかと思って!」
「…………あんまり重すぎるとこいつみたいになるわよ」
 また友人のスマートフォンが震えていた。マスコミ研究会から彼女へのラブコールはいまだにやむ気配がなかった。最近の彼女はもはやスマートフォンを口汚く罵ることもなくなって、無表情でメール着信拒否の設定をするようになった。とはいえ、昨今のフリーメールアドレスはほとんど無限に取得できるので、何度拒否しても一日に二回程度はメールが送られてくるのだそうだ。
「この遠慮がちな頻度がことさらむかつくのよ!」
 昨日だったか一昨日だったか忘れたけれども、友人はそう言っていた。マスコミ研究会がどんな頻度で送ってこようとも文句をつけただろうが、さわらぬ神にたたりなし、とりあえず黙ってうなずいておいた。
「マス研みたいになるのはやだな」
「なにそれ? マスコミ研究会のこと?」
「そう。由布院煙が言ってた」
 友人は一瞬顔をしかめたが、由布院煙の名前を聞くと表情を和らげた。推すのを諦めたとはいえ、やはり推しは推しのようだった。
 はマスコミ研究会を反面教師として、友人の意見を取り入れることにした。定型文をベースにしながら、そこに自分の文章を肉付けするようにして書く。これはなかなかよい発想だった。「よければお返事ください」という結びの文をはじめから書いておくと、これが待ち構えていると考えるだけで、鳴子硫黄に対する賞賛の言葉をなんとなく抑制することができるのだ。
 そうしての手紙はついに完成した。手紙が完成したあとも、は内容が無難すぎやしないかどうかとずいぶん気にしていたが、とうとう友人がにイライラしはじめたのでやめた。彼女にマス研第二号として認識されることだけは避けたかったのだ。意を決したは、手紙を丁寧に折りたたみ、封筒に入れて封をした。
 は強い達成感を覚えていたが、実は工程はまだもう一つ残っていた。手紙を鳴子硫黄に渡さなければならないのである。
「素直に会って渡せばいいじゃない」
「それができたら会話だってできてるよ! そもそも声がかけられないから手紙にしたんだから」
「そういえばそうだった。あんたが手紙を書くのに何日もかけてたから忘れてたわ」
 は言葉に詰まった。友人に手紙を書くようにすすめられてから、すでに一週間以上が経過していた。
「いっそのこと例の幼馴染に頼んだら?」
「ない」は即答した。「頼まれてくれるわけがない」
「あんたがそう思い込んでるだけで、意外と引き受けてくれるかもしれないでしょ」
「絶対にありえない。あいつに渡したら最後、手紙を八つ裂きにされたとしてもわたしは驚かないよ」
 は常にかばんの底に忍ばせている手紙に思いを馳せた。この手紙になにかされようものなら、幼馴染を許すことなんて到底できっこないだろう。
 友人は以前幼馴染の話をしたときと同様、「ふうん」とつぶやいて受け流した。
「そこまで言うならこれ以上はなにも言わないけど、じゃあどうやって渡すつもりなの?」
 そこを指摘されるとつらかった。「また考えるよ」と答えて、手紙の話はそこで終了した。
 友人がまたいそいそと数学のノートを机に出したので、も頭痛を感じながらそれにならう。ベクトルとは相変わらず袂を分かったままだった。のノートの隅に、と友人がそれぞれ書いた「絶対に諦めない」がある。そう、絶対に諦めてはならないのだ。なんとかして手紙を鳴子硫黄の手に渡らせないといけない。
 鳴子硫黄と学校が同じだったらよかったのに、とは思った。そうしたら、そもそも会話することだってそんなに難しくないだろう。学年が同じなら自然と毎日顔を合わせて、挨拶を交わすくらいの関係にはなれる。もしそれがかなわなかったとしても、簡単に手紙を渡すことができるに違いない。しかし、考えても詮ないことだった。眉難高校は男子校で、サマジョは女子校なのだから、天地がひっくり返ったってそんなことはありえない。はなんとなく悲しくなった。