馬鹿と滑瓢は使いよう 03


※時代考証とかは深く考えていない

 が獄卒として働きはじめたのは、遡ること約三百年と半世紀。徳川幕府が現世日本を統治する時代のことであった。
 さらにもうすこし遡ったころ、なにやら自分の存在が誇張されて広まっていると、現世での肩身の狭さを感じた一匹(彼は鯰によく似ているので、単位を匹とする)のぬらりひょんがあの世にやってきていた。彼はもともと存在感が薄く、さらにたいへんシャイな妖怪でもあったので、あの世でも滅多に人目に触れることがなかった。そんな彼がとある鬼女と恋に落ちた上、一児の父にまでなったことを知る者は少ない。そもそも彼に知り合いはほとんどいなかったし、生まれた彼の娘は、父親の体質をしっかりと受け継いでいたからである。要するに親子ともども、とても影が薄かった。
 同族である父親と、もともとその父親を見つけるのが上手かった母親と。と名付けられた娘の世界は、ほとんど家族三人で回っていた。寺子屋には通ったが、当時の寺子屋というのは、小学校と名を変えた現代とは違い、まだ制度としてきちんと確立していなかった。もちろんちゃんとした授業をしているところもあったけれど、運営する者によっては卒業という概念も存在せず、勝手に通って勝手に学び頃合いを見て自主卒業、なんて形をとるところさえあった。が通った寺子屋はどちらかといえば後者であったので、勝手に潜り込んで勝手に読み書きそろばんを習い、寺子屋に誰に気づかれることもなく勝手に自主卒業した。
 が鬼として独り立ちできる段階にまで育つと、母は獄卒にならないかと提案した。は会ったことがなかったが、母には兄がいて彼が獄卒として働いているらしい。曰く、日本地獄という機関は、日本のあの世の中でもっとも大きい組織であって、集まる鬼の数も多い。一人くらい、母のようにを見つけてくれる鬼がいるかもしれない。と、そう言うのだ。
 はぬらりひょんの体質を受け継ぎながら、半分混ざった鬼の血によってその制御を妨害されているらしい、というのが母の見解だった。父は影が薄いとはいえ、強い意思さえ持てれば相手に自分を認識させることができるのに、はそれができない。友達の一人もいなかったし(これは父親も似たようなものだけれど)、他人と話をしたことすらないような有様なのだ。妖怪ですら労働による対価で生活をするようになりつつある世間の向きもあって、母はたいそう心配になったのだという。そんな話を聞かされては、家の中に引きこもっているのもばつが悪くって、は気が進まないながらも久しぶりに外に出たのだった。

 というような話をから聞かされた、当時はまだ長く伸ばした髪を邪魔くさそうに一つにまとめていた閻魔大王第一補佐官の鬼灯は、なるほどとうなずいた。
 明らかに部外者であろう小鬼が、閻魔殿の奥のほうまで入り込んでいるのを見つけてつまみ出そうとしたところだった。しかし、いかに体の小さな小鬼とはいえ、他の獄卒に見つからずにここまで入り込むのはなかなかに至難である。いつもの好奇心が顔を出し、話を聞いてやろうと気まぐれを起こした。話し慣れていないのか、どもるわ話にまとまりはないわで聞き出すのは苦労したが、なんとか誘導したり物理的な手段に出ながら話を聞くこと小一時間。だいたいは理解することができた。
 ふむ、と鬼灯は考える。自分はどうも、このぬらりひょんの子どもを認識できるめずらしい鬼のようだ。彼女の母親の言うとおり、近頃は地獄に就職を希望する妖怪もわずかながら出てきていた。使えるものは使う主義なので、適材適所──たとえばあかなめは風呂場の清掃員にだとか──仕事を与えている。
 ぬらりひょん。一体なんの仕事ができるのだろう。ちょっとだけわくわくした。
「いいでしょう」
 鬼灯は表情を無にしたまま言った。
「馬鹿と鋏は使いよう。ぬらりひょんでもなんでも使ってみせましょう」
 結論だけをいわせてもらえば、わくわくなんてもんは待っていなかったのだけれど。それでも鬼灯はなんとか、数百年かけてそのぬらりひょんの子どもをうまいこと地獄で働かせることに成功するのだった。





さん」
「ヒャッ、ほっほほ鬼灯さま……!」
 食堂のカウンター前でおろおろしている小鬼を見つけて、鬼灯は首根っこ掴んでその小さな体を持ち上げてやった。
「すみません、注文お願いします」
 食堂のおばちゃんは鬼灯と、あわれ鬼灯に捕まってしまった小鬼を見て驚いたが、まぁだいたいいつものことだったので慣れたように注文を聞いてくれた。はラーメン、鬼灯は親子丼だ。
 日常生活を送る上で、がいちばん困っているのが買い物だった。注文にしろ会計にしろ、店員に気がついてもらえないのだからどうしようもない。最近はセルフで会計させてくれるスーパーが出現しはじめたので、通常の買い出し程度なら難なくできるようになったけれど、飲食店ともなるとこれがなかなか難しい。結局、目につく限りは鬼灯がフォローしてやっている。鬼灯がいない日にどうしているのかは知らなかった。そこまで関知してやる義理はない。
「は、離してくださふぎゃんっ!」
「ハイ、離しました」
「ぐぬう……」
 暴れられるとそこそこ面倒なので、言われるまでもなく離すつもりではあった。下ろせと言われても下ろしましたと言って落としただろう。揚げ足取りは上手い男である。は今朝とおんなじように床に這いつくばり、納得いかないような声を漏らしている。礼を言われこそすれ、文句を言われる筋合いはない。鬼灯がの背中を踏みつけると、はすばやく謝罪と感謝の意を述べた。加減はしているつもりだ。
 の分の昼食も一緒に受け取って、いつもの席に移動しようとすると、耳慣れた声に呼び止められた。
「おや、お香さん。珍しいですね」
 幼馴染の鬼女お香は衆合地獄に勤めている。あそこは地獄の中でも飲食店がかなりの数集まっている場所で、普段彼女はそちらで昼食を済ましているようだった。ようだった、というのは、実際に彼女から聞いたわけではなく、鬼灯の推測に過ぎないからである。しかし衆合地獄に勤める鬼女がわざわざここの食堂を利用しているところは見たことがないので、当たっているだろう。
「ちょうどこちらに用があったものですから。鬼灯様こそ、今日はそんなに召し上がるんですか?」
「ああ、いえ。これの分です」
「ぐぎゅっ」
「あら? あら、…………まぁ」
 もう一度の背を踏みつけた。体重をなるべくかけないようにするというのは、なかなか骨が折れるものだ。お香は鬼灯の足下を凝視して、突如現れた(ように見えるであろう)に驚いた顔を見せた。口元に手をあてて、普段から落ち着いた彼女にしては驚いているほうではないだろうか。彼女に懸想するマゾヒズムを開花させた小鬼とは違って、声を荒げるようなことはない。できた女性だ。
「あなたは、いつぞやの」
「そ、その節はお世話に……」
「こちらこそ。まぁ、何年ぶりかしら。百年はかたそうだけれど」
「そうですね、三百年ぶりくらいでしょうかぐふぅ……鬼灯さまいい加減足どけていだだだだだ」
 三百年ぶり。お香からしたらそんなところだろう。しかしからしたら、数日前お香が書類を届けに閻魔殿に顔を出した際に会ったところである。は三百年ほど前、一度だけ衆合地獄に勤務したことがあった。お香のの記憶はおそらくそこで止まっているはずだ。の対人関係は、お互いの感覚が噛み合わない。相手にとってははじめましてでも、にとってはいつもよく見る顔見知り。しかし向こうはこちらを知らないので、「知り合い」とは呼べない。そんな一方的な関係が常なのだった。
 鬼灯はひとまずの背中から足をどけてやった。鬼灯の顔を見上げて「これは本当に起き上がってもいいのか?」という顔をしているに、蹴りを入れそうになる己をなんとか律する。ちゃんと起き上がるのを待った。破格の待遇である。
「ほら、自分で持ってください。落とさないでくださいよ」
「わ、あ、はい」
 立ち上がったに、ラーメンが載った盆を手渡す。危なげな所作で受け取ったに先へ行くよう指示してから、これから注文するであろうお香へ目を向ける。
「せっかくですからご一緒しませんか」
「誘ってくださるの? それじゃあ、お言葉に甘えてご一緒させてもらいましょうかねえ。昔話もできそうなことですし」
 お香はころころと笑って、食堂のメニューへ顔を向けた。

「あら? 鬼灯様、あの子の姿が見えないようだけど」
「ここにいます」
「ふぐっ!?」
 お盆を持ってやってきたお香がきょろきょろと辺りを見渡すので、またの首根っこを掴んでひっぱった。ラーメンを食べていないタイミングを見計らってのことだった。
「まぁ、失礼したわ」
「い、いえ……いつものことなので」
「そうです、お香さんが気にする必要はありません」
 本人の言うとおり、これは正しく、いつものことである。
「衆合地獄で働いていたのは何年くらいだったかしら。十年もなかったわよね」
「五年くらい……だったと思います。わたし、壊滅的に向いてなかったので」
 日本地獄において異動は多いが、鬼の寿命は長いので、その間隔は数十年単位だったり、下手をすると百年単位だったりする。数年で異動というのは、実はここでは短いほうなのだ。
 お香はが衆合地獄に就いた当初、まだ主任補佐という立場にはなかったものの、すでに職場をまとめる社会的地位を得ていた。インフォーマル組織というやつだ。気心の知れた仲でもあり都合がよかったので、まずは彼女にを紹介した。本当は面倒を見てやってくれと言いたかったが、お香がすぐの姿を見失うのを見てそれは諦めた。
「向いてないといっても、鬼灯様が選んだ職場でしょう。なにか理由がおありだったんじゃないかしら? ねえ、鬼灯様」
「正直なにができるのかもよくわからなかったので、暫定的に女性の多い職場を当てがっただけです。こんな見た目ですが、まぁ、こういう嗜好の亡者もいるかと思って」
 お香のフォローを鮮やかにスルーして、隣でラーメンを啜るに視線を向ける。身長は唐瓜や茄子よりはすこし大きいかなというくらいで、小鬼は小鬼だ。現世の人間でこのサイズだと、おそらくギリギリ小学生くらいだろう。女子は成長期が早いので、もしかしたらさらに幼いかもしれない。成人女性でもいるにはいるだろうが、は全体的に凹凸の少ない、いわゆる幼児体型の持ち主であった。衆合地獄の鬼女たちは、だいたいが艶やかな雰囲気をまとった者たちばかりだが、ロリータコンプレックスだかアリスコンプレックスだかなんだか知らないが、そういった嗜好も存在する。こうした判断のもと、鬼灯はをまず衆合地獄に就かせたのだった。
 もっとも、このことは本人の与り知るところ。事前に言い聞かせた上で就かせている。
「まぁ、亡者にも認識されないぬらりひょんの体質の前では、嗜好云々もすべて無意味でしたが。非力なので拷問にも向きませんし」
 それで結局事務職に、ということになったのだ。衆合地獄は事務職の人手はだいたい足りていたので、小地獄の一つに異動となった。鬼灯がこの判断を下すまで五年。多忙の身であるのでしかたのないことだったが、も五年間なにもしていなかったわけではなく、他の鬼の仕事を見て覚え、こっそり手伝っていた。寺子屋でも教えてもらうのではなく、見て覚えたである。こういった作業には慣れていた。気づいた者はほぼ皆無だろうが。
「仕事を覚えるのがまぁまぁ早かったのと、人間関係を形成する時間が必要ないので、人手の足りない部署を中心にかなりの頻度で異動してもらっていたんです。最終的に、どこそこの小地獄で一人休んで回らないからじゃあ今日はそっちで、みたいなレベルになったので、だったら閻魔殿にいてくれたほうが指示しやすいなと思ってここに勤務してもらうことになりました。事務職専門の派遣みたいなもんですかね」
 だいぶブラックに聞こえるが、出勤時間や休憩時間に関しては本人の裁量に任せてある。サボっていてもほとんど鬼灯にしかわからないのだからこうするしかないのだが。とにかく業務の終了時間まで、現場の事務管理がだいたいつつがなく回っていれば素晴らしい、くらいのアバウトな業務内容だった。それでもいないよりはずっとよいのだ。鬼灯の把握している限り、勤務態度はいたってまじめで、サボリとは無縁のようだし。
「雪鬼くらいしか就けない八寒や、動物が事務も管理しているような不喜処などを除いてほとんどの地獄に就いたことがある究極のジェネラリストですよ。まぁ、二百年以上たらい回しでしたからね」
「意外とすごいことになってたのね……」
 補佐官の地位にまで上りつめた幼馴染が突然紹介してきた小鬼が、数百年たらい回しの末こんなことになっているとは思わなかったのだろう、お香はまた驚いた顔を見せる。派遣じみた労働とはいえ、日常的に地獄のNo.2から直接指示を受ける立場というのはなかなかない。
さんは寮住み?」
「あ、いえ、実家から」
「まぁ、遠いんじゃなくて?」
「そこまで遠くは……でも、たまに業務が長引いたときは、閻魔殿の仮眠室に泊まったりとか、します」
「仮眠室? そんなものあったかしら」
「記録課の仮眠室です。仮眠室なんて設置したらさらに仕事漬けになりそうだったので一度は却下したんですが、徹夜が増えても困るので仕方なく許可しました。数人しか泊まれないので、さんが寝る空きがないときもあるんですが、そういうときは私の執務室に布団敷いて寝てもらってます」
「そ、そうなの……」
 なんだかお香の顔が、驚くというより若干引いている気がした。
「なんというか、めずらしいわね」
「なにがですか?」
「鬼灯様が、そうやって世話を焼くのは」
 ぱちりと一つまばたきをした。まばたき一つ分、お香の言葉について考えて、鬼灯はその表情を変えることなく答えを返した。
「世話なぞ焼いていませんよ。心外です」
「そうかしら」
「ええ」
 そうですとも。鬼灯はうなずくや否や、どんぶりに伸びた細い手首をがしりと掴んだ。ヒッ、と短く掠れた悲鳴が上がる。その手には箸でつかんだチャーシューが一枚。
「食べ切れないものを私に押しつけるのはいい加減おやめなさい」
「ごっごごごごごめんなさい」
「はい、さっさと食べる。昼休憩が終わりますよ。口に無理やり突っ込まれたいんですか?」
「た、食べます! 食べます!」
 鬼灯の形相を目の当たりにし、は首をぶんぶんと縦に振る。手を離すと、慌てて体を引っ込ませ、掴まれていた手首を労わるようにさすった。痕がついたかもしれない。鬼灯は馬鹿力のせいというよりは、がひ弱なのである。
 聞けば小鬼のような容貌をしているが、厳密にいうと小鬼の血は引いていないらしい。母親は小鬼ではなく、はただ単に父親の体格を受け継いでしまっただけなのだそうだ。茄子は鬼の血を色濃く残したハーフだが、は妖怪側の特徴が大きく出てしまっている。顔は母親似のようだが、ほとんどそれだけだ。鬼といえる要素といえば、角くらいのものだった。ただ、数百年に及ぶたらい回しに音を上げないだけの根性はある。鬼灯は、鬼のなりそこないみたいな小鬼の、そこだけは買っていた。でなければとっくに地獄から追い出しているだろう。そんなことよりも、こうして自分の残飯処理を鬼灯に押しつけてくることのほうがよほど問題である。
 は食べ盛りの鬼獄卒のためにと厚めにカットされたチャーシューをはふはふ食べている。こうして自分の分をきちんと食べさせられるようになったのは、わりあい最近のことだ。なんといっても、彼女はその気になれば鬼灯の目の前から簡単に姿を消すことができる妖怪である。自分の食器にこっそりと伸ばされたの手を見破るのはなかなかに難しい。すこしずつとっ捕まえられるようにはなってきているのだが、本気を出されるとさしもの鬼灯も簡単に見失ってしまうのだった。
「では、私はそろそろ業務に戻ります。お香さん、時間はいいんですか?」
「あら本当、私も出ないと」
 鬼灯の言葉にお香は食堂の壁にかかった時計を見やり、はっとして立ち上がった。その際ちらりとに視線をやって、それから鬼灯を見て、なにか言いたげな顔をする。お香は空気の読める女性だが、言わなければならないことは相手が上司だろうが鬼神だろうが第一補佐官だろうが臆することなく進言するタイプだった。だから、今回彼女が口をつぐんだのは、きっと空気を読んだからなのだろうと思った。思っただけで、追及はしなかった。蛇が出る予感がしたからだった。すでに蛇が二匹、彼女の腹には巻きついているのだが。
 がチャーシューとの戦闘を終えたのを尻目にとらえ、鬼灯とお香は歩き出した。そして、衆合地獄に戻らねばならないお香と分かれ、午後の業務に忙殺されにいくのだった。
「いつもよりも歩みが遅いことには気がついているのかしらねェ、鬼灯様」
 お香は閻魔殿を振り返りつぶやいたが、その記憶からの姿が消えるまで、そう時間はかからなかった。