馬鹿と滑瓢は使いよう 04


 天気のよい、昼下がりだった。とはいっても、桃太郎がここに居を移してから一度も天気の悪い日を経験したことはない。桃源郷は常春の穏やかな場所だ。
「ウエ~、二日酔いだ……」
「自業自得ですよ。はめを外すなら翌日がお休みの日にしてください、ってあれほど言ってるでしょうが」
「かわいい女の子がすすめるものを断るだなんて、僕の美学に反するよ」
 昼間からぐったりとしている師匠を見て、弟子は大げさなほどため息をついた。二日酔いに効く黄連湯の在庫を探して棚を覗く。自業自得ではあるが、これでも店主であり師匠であるので、従業員であり弟子でもある桃太郎は世話を焼くことを余儀なくされてしまうのだ。葛根湯といったメジャーな漢方薬よりもまず先に黄連湯の作り方を覚えてしまったのは、まさしくそのおかげといえた。
 店の電話が鳴る。白澤は一瞬顔を上げたが、その顔色は悪い。桃太郎と目が合うと、すぐに顔を伏せた。電話をとれということだ。桃太郎は黄連湯の在庫を一包みつかんだまま、電話機まで移動して受話器をあげた。
「はい、極楽満月です」
 受話器の向こうから聞こえたのは、一度聞いたら忘れない唸るような低音だった。普段あまり電話をかけてくることのない日本地獄の鬼神は、どうやら店主に用があるらしい。
『店主は留守ですか?』
「一応いることにはいるんですけど……」
『ああ、みなまで言わずとも結構です。だいたい事情はわかりました』
 もごもごと濁す桃太郎に、鬼灯は少しばかり声のトーンを落としたが、幸いにして電話口で怒り狂うようなことはなかった。いつものことなのだろうと思った。付き合いの浅い桃太郎にすらそう思わせるものが白澤にはある。
『それでは、伝言をお願いできますか』
「ええ、かまいません」
『今日そちらへ受け取りにうかがう予定だった薬のことなんですが』
 桃太郎は一瞬ひやりとした。初耳だった。
『私の予定が合わなくなったので、部下を向かわせます。さんという方です。そうお伝えください』
さん、ですね。わかりました。伝えておきます」
『よろしくお願いします』
 失礼いたします、という言葉を最後に電話は切れた。受話器を置いた桃太郎が白澤を見ると、白澤は顔を上げて桃太郎を見ていた。その顔には驚きが浮かんでいるように見える。
「いま、って言った? いまの闇鬼神だったの?」
「ええ、そうですけど。今日鬼灯さんが受け取りにこられる予定だった薬を、代わりにさんという方が受け取られるそうです」
「そう。ちゃんがくるのか……」
 白澤は頭を抱えるようにしている。手を差し出されたので、黄連湯をのせてやった。白澤が立ち上がり、水差しからコップに水を注ぐ。
 桃太郎は白澤の態度が不思議でならなかった。
「女性、ですよね。白澤様はうれしくないんですか?」
「うれしいよもちろん! 会うのは久々だしね。何年ぶりだろう。こんなことならあんなに飲むんじゃなかったな……。あ、薬は僕が用意するからいいよ」
 薬の注文については忘れていなかったようだ。白澤は黄連湯を水でぐいっと喉に流し込み、薬の準備にとりかかった。やはり単純に女性が来るにしては態度がおかしい。もしかしたらなにか複雑な事情があるのかもしれなかった。たとえば、さんとやらが白澤の元カノだ、とか。
 いやいや、と桃太郎はかぶりを振った。いまのところ、白澤が彼女などという特定の相手を作ったところは見たことがない。さすがにその線は薄そうだ。桃太郎は二日酔いとは思えないほど手際よく薬を用意する白澤を眺めていた。
さんってどんな方なんですか?」
「ちょっと変わった子でね。桃タローくんもきっとびっくりすると思うよ。申し訳ないけど、店の入口付近の音と、うさぎさんたちの様子に注意しておいてもらえる?」
「え? どういうことですか」
「そのまんまの意味」
 白澤はそれ以上答えてくれなかった。

 桃太郎は、床に敷いた布の上に山になった薬草を、紐でくくって小さな束にする作業をしていた。たくさん作った束を一本の紐でつなげて、天井から吊るして干すのだ。薬草の束に鼻を近づけると、かすかに不思議な香りがした。乾燥させると、香りはもっと強くなる。店の中はいつもこの香りで満ちていた。
 作業をする桃太郎の周囲でしきりに薬草の香りを嗅いでいたうさぎさんたちが、いっせいに顔を上げた。一様に店の入口を見ているようだ。それから、落ち着かない様子で桃太郎の周りを歩き回った。あわてて鍋に向かっている店主の背中に声をかけた。
 白澤が店の戸に向かうあいだ、桃太郎の耳にかすかな音が聞こえた。こんこん、こんこん、計4回のノックの音だ。
「いらっしゃい、ちゃん」
 白澤は戸を開けると、誰かの手を引いた。その誰かはおそるおそるといった様子で店の中で足を踏み入れて店の中をぐるりと見回したが、入口の脇で突っ立っている桃太郎に気がつくとぴゃっと飛び上がり白澤の背後に回り込んでしまった。その姿がなんだかうすぼんやりとしていて、思わず目をこする。目を細めて見てみると、たしかに白澤の陰から桃太郎を覗き見るようにしている鬼の姿がある。
「うちの新しい従業員だよ」白澤はくすくすと笑っている。「あの闇鬼神が連れてきたんだ。安心して」
 は小柄で、おそらく小鬼だろうと思われた。聞けば江戸時代から生きているそうだが、体型と中性的な顔立ちからおとなしい少年のような印象を覚える。唐瓜と茄子が隣に並んでいたら、仲良し三人組に見えるだろう。
 白澤はから薬の注文書の控えを受け取って用意を始めた。は丸椅子にちょこんと座り、桃太郎がいれたお茶と、白澤からすすめられた茶菓子を見て目をきらきらさせている。その姿はやはりぼんやりとしていて、桃太郎は何度も見失いそうになった。目の前にいるのに見失うもなにもないのだが、見失うとしかいいようのない感覚だった。桃太郎は目を瞬かせて、いまにも消えそうな小鬼の所作に注意を払った。
「最近どう? 忙しい?」
 白澤が薬を詰めた小さな紙袋をに手渡しながら言葉をかけた。は蚊の鳴くような声でぽつりぽつりと答えていったが、これもやはり、注意深く耳をすまさないと聞き逃してしまいそうだった。桃太郎は神妙な面持ちで黙りこくった。
「最近は落ち着いてるほうだと思います。鬼灯さまの機嫌もよかったです。今日は、金魚草に食べられそうになっているところを助けていただきました。金魚草はなぜかわたしに対してとても攻撃的なんです。鬼灯さまが育てているからかもしれないですけど……あ、ええと、今のはご内密に……。わたし、鬼灯さまが育てた金魚草しか見たことがなくて」
 白澤はがゆっくり話すのを「へえ」とか「よかったね」とか、相槌を挟みながら聞いていた。唐瓜と茄子の二人と知り合ったこと、何百年ぶりかにお香と話をしたことなど、はとりとめもなく近況を報告した。話すのが下手くそなのか、桃太郎が知らないうちに言葉を聞き逃しているのか、彼女の話は要領を得ない。ただ本人は夢中でしゃべっている様子で、お茶はいっこうに減る気配がなかった。
 冷めてしまったお茶をいれなおそうと、桃太郎は席を立った。湯を沸かしているあいだ、不思議な感覚に襲われる。彼女の名前や姿がすぐに思い出せなくなるのだ。茶葉の容器を手持ち無沙汰に軽く振りながら、彼女の名前を無心に唱えてみても、はっと気がつくと頭からその名前は消えていた。なんだか頭痛がしてきてこめかみを押さえる。一体なにが起きているというのだろう。
 お茶を用意して戻ると、白澤が疲れた様子でテーブルに顔を突っ伏していた。違和感を覚えながら、テーブルに二人分のお茶を置いて白澤の向かいに座る。その途端、桃太郎の頭に来客の存在が急に戻ってきた。
「あれ、さんは」
「帰ったよ。勤務時間中だったからね。慌てて転ばないといいけど」
 あんなに必死での名前を唱えていたが、結局の分のお茶を用意するのを忘れてしまった。帰ってしまったのだから結果的には悪くないのだが、なんとなく居心地悪く感じながら湯飲みに口をつける。なんだかとても疲れていた。白澤をこっそり盗み見ると、白澤が顔を上げていて、ばっちりと目が合った。
ちゃんのこと、聞きたい?」
「そりゃ、まあ……。どうしてあんなに、影が薄いというか、存在感がないというか」
「彼女は妖怪の子なんだ」
 白澤から一通り説明を受けて、桃太郎はに対して同情の念を禁じ得なかった。
「白澤様と鬼灯さんはちゃんとさんが見えるんですね」
「いや。僕は違うよ」
「でも、さんを迎え入れてましたよ」
「僕は君たちよりもたくさん目を持っているから、すこしだけものが見えやすいんだ。がんばれば見えるけど、ちゃんと見ようとするとものすごく目が疲れる」
 言いながら、白澤はこめかみを押さえた。桃太郎よりも疲れた顔をしていたが、二日酔いのせいだけではないのだろう。
「アイツには目が二つしかないけど、しっかりとちゃんのことが見えている。認めたかないけど、これはとてもすごいことだ。なんせ日本地獄の中でアイツだけなんだからね」
 白澤が立ち上がり、点眼薬のストックを探して棚を物色しはじめた。
「ということは、さんにとって鬼灯さんって」
「ああ、相当懐いてるよ。彼女控えめだからわかりにくいけど。僕、日本人の女の子のそういうところが好きなんだよね」
「そんなことは聞いてないです」
 桃太郎は、すでに消えかけたの言葉を思い出そうとしていた。鬼灯さま、と呼ぶ声はどんなだっただろうか。目をつむっても、もう彼女の姿は浮かばない。きっとこうやって思い出そうとしたことさえ、明日には忘れているに違いなかった。会う人会う人に忘れられ続けている彼女にとって、鬼灯はどう見えているのだろう。
 点眼を終えた白澤は、目を瞬かせた。
「ここだけの話だけどアイツも大概過保護でさ、茄子くんを使いによこすときはなにも言わないくせに、ちゃんをよこすときは絶対電話してくるんだよね」
「なんですかそれ」
「思わずそわそわしちゃうよねえ」
 忘れてしまうには惜しい話を聞いてしまった。

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