ありふれた週末の話
※女監督生夢主フロイド先輩にピンチを助けてもらったお礼に遊ぶ約束をした。相手がフロイド先輩であることはこの際見ないふりをするとしても、なにかおもしろい遊びを考えてきて、という地味にハードルの高い要求はわたしの頭を悩ませていた。だって、フロイド先輩がおもしろくないと判断しようものなら、わたしの命が危ないことは想像に難くない(あれ、結局見ないふりができていないのでは?)。自分が元いた世界の遊びなら楽しんでもらえるかと思ったのだけれども、この世界は微妙に元いた世界と似たような文化をもっていて、だいたいの遊びはこちらにもある。テレビゲームから鬼ごっこ、ボードゲーム、スポーツにいたるまで、驚くほどわたしが元いた世界とこの世界はよく似ていた。そういうわけで、フロイド先輩に対して目新しい遊びを提供することはわたしにはできないのだった。とはいっても、フロイド先輩もまだ陸の生活二年目の素人さんだ。まだ彼が知らない遊びがきっとあるはず、と思いたい。
フロイド先輩は廊下ですれ違うたびに「遊ぶのいつにする~?」と聞いてくる。バイトが忙しくてと先延ばしにしていたが、あんまり時間をかけるとフロイド先輩のご機嫌グラフがどうなるかわかったものではない。そろそろ本格的に動かなくてはいけなかった。
「故郷でなんの遊びがはやってたかって?」
「うーん、いざ聞かれると難しい質問だな」
どうせならこちらの人たちがよく興じる遊びがわかれば、と思ったのだけれども、エースとデュースは首をかしげてしまった。いやたしかに、わたしもそんな風に聞かれたら首をかしげてしまうだろう。デュースの言う通り、いざ聞かれると難しい。学生といえば、友達とだらだら話しているだけでも時間が無限につぶれるものだ。それを遊びと呼べるかどうか。少なくともフロイド先輩とだらだらおしゃべりするというわけにもいかないだろう。そもそもあの人はなにを話すんだ。
「ミドルスクールのころなにして遊んでたかとか……」
「そんなん普通だよ普通。適当に友達と遊びに行ってその辺ブラブラして、ごはん食べて帰る」
「僕もだいたい似たようなものだ」とデュースが同意する。珊瑚の海には博物館もあったし、そういう娯楽施設も彼らの故郷にはあったんだろう。そうすると、結局わたしの世界とおんなじだ。うーん、と腕を組む。できれば学校の外には出たくなかった。学外で遊ぶとなればお金が必要になるだろうが、わたしはいま生活費を稼ぐために購買部でバイトをしている最中だ。基本的にそんなことにお金を使う余裕はない。じゃあモストロ・ラウンジで働けばいーじゃんとフロイド先輩なら言いそうだが、ちょっとそれは困る。雇用主の信用ステータスが足らないからだ。いや、まあ、悪い人たちではないんだけれども、いい人でもないというか、とにかく友達付き合いするならまだしもそういうことに関しては話が別なのである。
「お前はアレだろ、マジカルホイール乗り回してブイブイいわせてたんだろ」
「なっ! ちが、そんなことはない!」デュースが目に見えて焦った顔をした。エースは「はいはい」と適当に流している。
マジカルホイール、というのはデュースの話に何度か出てきた単語で、話の流れから察するにバイクのような乗り物、なんだと思う。魔力を動力源にしているのだろうか、そこに関しては推測の域を出ない。そういえば、マジカルホイールは陸の乗り物だ(たぶん)。フロイド先輩もさすがに乗ったことはないんじゃないだろうか。
「マジカルホイールって、どこかで乗れたりするの?」
「マジカルホイールを運転するには免許がいるんだ。監督生は持ってないだろう」
そりゃそうだ。元いた世界でもバイクに乗るには免許が必要である。「監督生、お前マジでなんにも知らねえんだな……」とドン引きした顔をしているエースの背中に平手を一撃決める。彼の背中はいい音がするのだ。「いってえ!! オイコラ監督生!」……ということはきっとフロイド先輩も持っていないだろうな。「おい、無視すーんーなー!」それにデュースが言うには、ナイトレイブンカレッジではマジカルホイールの乗り入れは禁止されているんだそうだ。事故があっては危ないし、登校するときも鏡があるから特別乗り物は必要がないからだという。まあ彼らには箒もあるしね。でも箒には免許がいらないのはなぜなのか。
「だから僕も、実家に帰らないとマジカルホイールには乗れないんだ。こうしているあいだにも勘が鈍っているような気がしてならないんだが……」
普通に考えれば乗り方の勘なのだろうが、デュースが言うとなんとなく物騒な響きを帯びる。思わずエースと顔を見合わせてしまった。
「なに、監督生暇つぶしの手段でも探してんの? あー、そういやホリデー実家帰らないんだっけ? まあそりゃ暇だよな」
なんせ誰もいないだろーし、とエースはひとりで納得した様子だった。わざわざフロイド先輩と遊ぶからなどと伝える必要性も感じず、そんなとこ、と同意しておく。伝えたら心配してくれるだろうことは容易に想像できるしとてもありがたいことなのだが、ふたりがついてくると絶対フロイド先輩ともめごとを起こして余計めんどくさくすることも見え見えなので避けたいところだった。
「そーだ、マジック教えてやるからさ、練習で時間潰したら? オレの兄貴直伝のマジック、どうよ?」
エースの申し出に、なるほど、と思い教えてもらうことにした。エースのトランプを使ったマジックは何度か見せてもらったことがあるが、こちらではあまり馴染みのないものらしく、グリムとデュースがたいそう驚いていたのを思い出す。まぁグリムが驚くのは当然のような気もするが。魔法を使えるのが当たり前の世界だからこそ、魔法を使わずに相手をごまかして(というのは言い方が悪いだろうか)魔法を使っているかのように見せかけるのは変な感じがするんだろう。デュースは毎回「本当に魔法は使っていないのか?」と疑いの目を向けていた。あのリドル寮長もエースのマジックには驚くというので、フロイド先輩にもそこそこ驚いてもらえるのではないかと思う。わたしも元の世界でマジックを目にしたことはあったものの、実際にやり方を見るのははじめてだから、すごく楽しみだった。ちなみに、「魔法が使えない監督生には特別に教えてあげるけど、グリムとデュースはダーメ」とエースが言ったことにより喧嘩が勃発したためその日には教えてもらえず、翌日の放課後に教えてもらえることになった。あの余計な一言を付け加える癖はなんとかならないものだろうか。
「地元ではやってた遊び?」
廊下ですれ違ったハーツラビュル寮の上級生のお三方にも聞いてみたが、おおむねエースやデュースと似たような反応だった(なんで学年が違うのに一緒に歩いていたのだろうと思ったら、ケイト先輩が古代呪文語の辞書を忘れてしまったらしく、リドル先輩の教室に取りにいくところだったらしい。トレイ先輩のクラスは古代呪文語の授業がなくて持っていなかったのだそうだ。ちゃんと辞書を持ち帰るあたり、トレイ先輩もまじめである。エースなんかはぜんぶ置きっぱなしだ)。特に頼りにしていたケイト先輩も、「難しいこと言うねえ、監督生ちゃん」と苦笑いをしている。リドル寮長はさすがに難しいと思ってたけど、ケイト先輩なら絶対いろいろ教えてもらえると思ったのに。まあ、ケイト先輩こそ学外のホットスポット巡りなんかが似合いそうではあるが。学内のホットスポットでもいいから教えてほしい。
「一体どうしてそんなことを聞くんだい」
リドル寮長は気分を害した様子はなかったけれども、いささか怪訝そうな顔をしている。「いや、違うんですよ遊びにうつつを抜かしたいというわけではなくて!」とあわてて弁明すると、すかさずケイト先輩が「そうやって言われると余計あやしいよ~?」といたずらっぽく笑った。わたしも正直思ってたけど、思ってても言わないでほしかったな。まあまあ、とトレイ先輩が笑ってあいだに入る。
「監督生にもなにか事情があるんじゃないのか?」
トレイ先輩の言葉にはリドル寮長も納得した様子で「それもそうだね」と同意した。さすがは幼なじみ、扱いがわかっている。とはいえ、あのオーバーブロットの一件がなければトレイ先輩の意見もはねのけられていただろうな、と思う。リドル寮長は最近、怒る前に一呼吸挟むよう心掛けているようだった。それがわたしを含めて周囲にも伝わっているのだから、なんだかんだいってかわいい人である。
ここに至るまでの経緯を簡単に話すと、全員黙り込んでしまった。リドル寮長の眉間のしわが先ほどよりも深くなっているので内心おじけづく。一呼吸おかせたうえでなお怒らせたとなれば、さすがになすすべがない。リドル寮長は大きくため息をついた。
「そういうことなら見逃してあげるけど、危険だと思ったらすぐに助けを呼ぶんだよ」
「えっ本当ですか!?」
意外な言葉だったのでつい食い気味に反応してしまった。「急に大声を出さない」と注意される。ごめんなさい。
「リドルくん、フロイドくんのこと苦手だもんね」
「余計なことを言わないでくれる、ケイト」
「はぁい」
そういえば、マジフト大会前の偵察でフロイド先輩に見つかったとき、リドル寮長が相当焦っていたことを思い出した。たしか金魚ちゃんと呼ばれていたっけか? たしかに真面目一辺倒のリドル寮長からすると、予測できない動きをするフロイド先輩は相性が悪いのかもしれない。フロイド先輩と相性のいい人物など、アズール先輩とジェイド先輩くらいしかいないだろうが。
「いやでも、馬鹿正直に遊び考えてる監督生ちゃん、マジで尊敬するよ」
「それは褒めてるんですか?」
「褒めてる褒めてる~!」ケイト先輩はけらけら笑った。ちらりと見える八重歯が、年上なのにちょっと幼い雰囲気を感じさせる。
まあ、助けを求めるとはいっても、あのフロイド先輩が相手だとどこまで助けを期待できるか微妙なところではあった。この前フロイド先輩に助けてもらったときも、周囲の人は見ているだけだったし、相手がフロイド先輩ということになれば、なおさらわたしを助けるために飛び込んでくるような人はいないだろう(ジャックやデュースならもしかするときてくれるかも。エースはたぶんというか絶対こない)。一応グリムは連れていきたいと思ってはいるけど、戦力的にも雀の涙ほどの期待しかしていなかった。
「でも、ボクに遊びの話なんてできないよ。トレイかケイトに聞くことだね」
「えーっと、じゃあリドル寮長は、勉強の合間の息抜きってどうしてるんですか?」
「息抜き?」
あえて遊びという言葉を使わずに聞いてみる。息抜きは勉強の効率を上げるものであって、必ずしも悪いものではない。リドル寮長は考えるようなそぶりをしたあと、隣に立つトレイ先輩を遠慮がちに見上げた。
「トレイのお菓子を食べるのは息抜きに入るのだろうか」
「そうだな。十分息抜きなんじゃないか?」
「じゃあ、それだよ」
トレイ先輩が眉を下げて笑う。いつもにこにこしているトレイ先輩だけれども、この顔はちょっといつもと違う感じだ。お菓子、お菓子かあ。海の中にはお菓子はあるんだろうか。いや、仮に海の中になかったとしても、モストロ・ラウンジのメニューにはパフェがあったような気がする。さすがに陸二年目でも食べたことくらいはありそうだ。でももしかしたら喜んでもらえるかもしれない。遊びではないが、いい試みではないだろうか。
「ありがとうございます。ちょっと検討してみることにします」
時計を見ると次の授業の時間が近づいている。最後にケイト先輩に、学内のホットスポットを送ってほしいとお願いして次の教室へ向かった。わたしはスマホを持っていないので、デュースのスマホに送ってくださいと言っておいた。エースは勝手にそういうことをすると怒るだろうからと思ってデュース宛にしたのだけれども、あとでエースに「なんでデュースなんだよ」と怒られてしまった。結局怒られるのか……。
クルーウェル先生に授業の片づけを頼まれて、少し遅れて食堂に行くと、サバナクローの人たちに遭遇した。ラギー先輩に「ここ空いてるッスよ」とレオナ先輩の隣の席を指される。レオナ先輩は「おい、勝手に座らせるな」とラギー先輩を睨んだが本人はどこ吹く風だ。出遅れてしまったので食堂は混雑していて、レオナ先輩の隣以外に空席が見当たらない。「失礼します」と断ってレオナ先輩の隣に座る。レオナ先輩は心底イヤそうな顔でこちらを見たが、こちとら一晩中この人の部屋の前で騒ぎ倒し要求を飲ませた身である。いまさらなにをこわがることがあるだろう。レオナ先輩の視線をわざと無視するように「いただきます」と手を合わせると、ラギー先輩がおかしそうに笑う。ジャックは我関せずという顔で食事を口に運んでいた。見るたび思うがジャックの食べ方は本当にきれいだ。
「いま、いろんな人に故郷ではやってた遊びを聞いて回ってるんですけど、みなさんもなにかないですか」
ラギー先輩は食べるのが異様に早く、真っ先に食べ終わっていた。ジャックもほどなくして食べ終わったのを見て、そう尋ねてみる。レオナ先輩はゆっくりとサンドイッチを頬張っている。合間にあくびを挟むような食事風景だが、この速度で最終的には体の大きさ相応にかなりの量を食べるのでたまにびっくりする。
「また変わったことしてるッスね。ホリデーの暇つぶしッスか?」
「エースとおんなじこと言いますね、ラギー先輩」
ラギー先輩は「ゲッ、エースくんと!?」となぜかショックな様子である。簡単に事情を話すと、ラギー先輩は目を白黒させた。
「はあ~、どうしてアンタはそう怖いもの知らずなんスかねえ」
「そんなもんバックれりゃいいだけの話だろうが」
「ホリデーを挟んだら向こうもころっと忘れるんじゃないか?」
ジャックの言い草が地味にいちばんひどかった。でも助けてもらった恩義があるから、と言うとそれはそうだ、と同意した。貸し借りはきっちりすべき、というのがジャックのスタンスである。
「ちゃあんと自分の身は自分で守らないと、そのうちガブっと食われちまうッスよ」
「ご心配ありがとうございます、ラギー先輩」
「いや、そういうことじゃないんスけどね……」
ラギー先輩は耳をぺたりと伏せてしまった。忠告してもらったととらえたのだが、違っただろうか。自分でも、フロイド先輩の遊びに付き合うのが危ないことはよくよく理解している。ただ、この約束を無視したあとのフロイド先輩のほうがもっとこわいんじゃないかと思うのだ。約束とは大げさにいってしまえば契約に近い。契約を違えばどうなるのか、わたしは身をもって知っていた。それだったら、できるだけフロイド先輩の意に沿うように動いたほうが最終的にコストが安く済む可能性が高い。魔法が使えないわたしは、ほかの人と違ってとれる戦略に限りがある。わたしに残された選択肢はこれしかないのだ。フロイド先輩に気に入ってもらえれば次も助けてもらえるかもしれないしね。まあないだろうけど。そのくらい前向きに考えなきゃこの学校ではやっていけない。
「故郷か」ジャックが答える。「故郷ではよくスノボをやってたな。今もだが」
「スノボ! え、似合うね」
「そうか?」
この体格と身体能力ですべるところを想像する。うん、相当目立つだろうな。普段から目立ってるけど。ラギー先輩が「スノボってなんスか?」とジャックに尋ねている。ラギー先輩の故郷では雪はあんまり降らないのだろう。レオナ先輩は興味なさそうに次のサンドイッチに手を伸ばした。スノボかあ、絶対海にはない遊びだろうしフロイド先輩もおもしろがりそうだが、いかんせん季節的に雪はまだだ。サムさんに聞けばきっとスノーボードくらいは
「難しそうならやめておけ。怪我するぞ」
うむむ、と考え込んでしまったわたしにジャックが言った。もっともだ。
「レオナさぁん、チェカくんとはいっつもなにして遊んでるんスか?」
ラギー先輩が意地の悪そうな顔でレオナ先輩に話を振ると、レオナ先輩はぐるると威嚇するように喉を鳴らした。
「遊んでねえよ。あのガキが勝手に俺の周りをちょろちょろしてるだけだ」
なんとなくレオナ先輩のしっぽを追いかけて遊ぶチェカくんの姿を想像する。元いた世界で見た猫の親子の動画がたしかそんな感じだった。レオナ先輩は寝転がっているが、しっぽだけがたしたしと床を一定のリズムで叩いていて、チェカくんがそれを延々と追いかける。遊び終わったあとのレオナ先輩のしっぽは毛並みがバサバサになっているのだ。想像だけでひとりなごんでいると、「オイ、お前いま絶対不愉快な想像してるだろ」とレオナ先輩に睨まれてしまった。滅相もないです。
「まあオレの故郷には娯楽なんて大したモンなかったッスからね。ガキのころの遊びなんて鬼ごっこが関の山ッスよ」
「鬼ごっこかあ」
フロイド先輩との鬼ごっこは下手すると命を落とすな。絶対にやめておこう。
「生きて帰ってこれるといいッスね」
「縁起でもないこと言わないでもらえますか?」
鬼ごっこはしませんよ、絶対。
「今週末遊びましょう、フロイド先輩!」
カードは出そろった。休み時間、廊下の人混みで見つけたフロイド先輩の腕を捕まえてそう言ったが、振り返ったその顔はジェイド先輩だった。たぶん今までの学校生活でいちばん血の気が引いた瞬間だったと思う。オーバーブロットを目の当たりにしたよりも衝撃が強かった(そりゃリドル寮長のときはさすがにびっくりしたけれど、三回も経験すれば慣れもする。ほんとは慣れちゃいけないんだろうが)。リーチ兄弟は双子でたしかにぱっと見はそっくりだけれど、よく見ればぜんぜん違う。表情のせいだと思うが、見分けがつかないということはあまりない。しかしいかんせんわたしが見ていたのは後ろ姿だった。さすがに背格好はよく似ている。
「おや、監督生さん。フロイドをお探しですか?」
ジェイド先輩はいつものようににこやかな顔でわたしを見下ろした。表情から感情が読めない。つかんだままだったジェイド先輩の腕を離す。
「す、すみませんジェイド先輩、悪気があったわけでは……」
「ええ、ええ。わかっていますよ、監督生さん。僕たちは双子ですからね、間違えるのも無理はありません。ねえ、そう思いませんか? フロイド」
「なあにジェイド、なんか言った?」フロイド先輩が急にと人と人のあいだから現れた。「あっ、小エビちゃんじゃん」
「び、びっくりした……」
「フロイドは人混みをすり抜けるのが得意なんです」
ふふ、驚きましたか? 体が大きいのに意外でしょう、とジェイド先輩が笑っている。逆にジェイド先輩は人混みで動くに動けなくなってしまうことがよくあるらしい。それってみんながフロイド先輩をよけて歩いているということでは? と思ったが、わたしは普通にジェイド先輩のこともよけて歩きたいので違う気がした。
「監督生さんがあなたに用事だそうです。フロイドと間違えて僕の腕をつかんでしまうくらいですから、よっぽど大事な用事だと思いますよ」
うーわ秒でバラされた。ジェイド先輩さては間違えられたの相当怒ってるな? その一方で、フロイド先輩は「えーやっと遊んでくれんの?」とにこにこしていて、特段怒った様子はない。この双子は沸点の温度も違えば、その方向性もまったく違う。なにが彼らを刺激するのかわからない。綱渡りをしている気分だった。
「今週末でご都合はいかがですか」
「いいよ~、アズールに言ってシフト外してもーらお」
「アズールにはなんて言うんですか?」
「え? 小エビちゃんと遊ぶからって言うけど」
「そうですか」
ジェイド先輩は含みのある笑いで、まあいいんじゃないですか、と言っている。わたしもフロイド先輩も、そのときはそろって首をかしげていたのだけれど、遊ぶ当日になってその意味がわかった。
「も~~~マジ大変だった! アズールがなかなか許してくんなくてさ~。最初はいいって言ったくせに、小エビちゃんと遊ぶからって言った途端だめだって言いだして」
「えぇ……」
「そういうのずるくねえ?」
待ち合わせは中庭の噴水の前。日差しがあたたかいのでそこまで気にならないが、正直寒かった。せめて空き教室に移動したい。モストロ・ラウンジの仕事もないからラフな格好で現れたフロイド先輩は、怒り心頭といった様子でアズール先輩への文句を並べ立てた。それでもこの場にいるということはなんとか許してもらったのだろうと思って、どうやって許してもらったんですか、と尋ねたら、とにかくオレ今日ラウンジ行かねーから! と強行突破してこの場にいるらしい。マジか。次会ったら絶対嫌味を言われるやつだ。わたしのせいじゃないのに。なんとかして彼の機嫌をとる必要があると思い、わたしは手に持っていた紙袋をフロイド先輩に差し出した。
「あの、よかったらこれ、アズール先輩とジェイド先輩にお土産で持って帰ってください。お菓子作ったんです」
「え、小エビちゃんが?」
「遊んで小腹が空いたらおやつに食べようと思ってたんです。でもたくさんあるし、よければアズール先輩たちにも」
トレイ先輩にかなりご助力いただいてしまったので、もはやわたしの手作りと呼んでいいのかわからないのだが、それはあえて言わない。トレイ先輩との約束だったからだ。助力を求めたとき、これを守らないなら手伝えないと言われた。たしかに、なにかの拍子にトレイ先輩の実家がケーキ屋さんで、トレイ先輩がお菓子作りの天才であることが知られてしまったら、あの商売根性の化身であるアズール先輩がなにを言い出すかわからない。「俺はハーツラビュル専属なんでな」と笑ったトレイ先輩に、「それなのにオンボロ寮のわたしを手伝ってくれるんですね」と言ったら笑われてしまった。トレイ先輩はいい人だ。
「ふーん、じゃああとで食べよ。オレぜんぶ食べちゃうかもしんないけど」
「えっ、夕ご飯食べれなくなっちゃいますよ」
「いーのいーの。どうせ今日アズール怒ってるから賄いろくなもん出てこないし」
アズール先輩の分を食べるのはやめてほしかったが、それを伝えるわけにもいかず、わたしはあいまいに笑うほかないのだった。
「んで、今日はなにして遊んでくれんの?」
フロイド先輩は構ってもらえた子どものように笑っている。こうしているとぜんぜん危険人物には見えないな、と思う。わたしはとりあえず移動しましょう、とフロイド先輩の腕を引いた。
わたしたちの目の前には無残にもトランプが散らばっている。
「いや、小エビちゃん不器用すぎっしょ……」
「そんなばかな……」
校舎内の空き教室に移動し、エースに教えてもらったマジックをフロイド先輩にお見せする予定だったのだが、手元が大いに狂ってしまい、ぜんぶぶちまけてしまった。ちゃんとグリムに付き合ってもらって練習もしたのに(グリムもやりたがっていたが、あいにく猫の手でトランプを操るのは難しく、泣く泣く諦めていた)。
「いまのはちょっと失敗しただけですから! もう一回チャンスをください!」
「てかそれオレもやりてー! どーやってやんの?」
「えっ、ああ、なるほど……そういう手もありますね」
でもそれだと実際に手品を見る前に種明かしされることになっちゃいますが、と言うと、小エビちゃんいつ成功するかわかんねーしと失礼なことを言われる。まあ、フロイド先輩がそれでいいならいいんだけど。地面に散らばったトランプをかき集めてきちんと枚数があることを確認する。
「トランプのゲームはやったことありますか?」
「あるけどルールは忘れたー。ジェイドがすげー強くて勝てないからつまんなかったんだよね」
「へえ」たしかに、顔に出ないジェイド先輩はカードゲームに強そうだ。「じゃあだいたいどんなカードがあるのかもご存じですね」
フロイド先輩にマジックのタネを説明する。人に山札から一枚カードを選んでもらって、そのカードを山札の真ん中に戻したあと、山札のいちばん上のカードをめくると、その人が選んだカードが出てくるというものだ。オーソドックスなマジックで、いわゆる初心者向け。まあわたしはこれに失敗したわけだけど。
「山札に戻すときに、真ん中に戻したように見せかけて、上から二番目の位置に戻すんです。こう、いちばん上のカードを、見えないように指で浮かせて……こんな感じです」
「小エビちゃんがトランプぶちまけたのはこれに失敗したから?」
「ングゥッ……そのとおりですが、いや、すばやくやろうと思うとけっこう難しいんですよ!」
そして、山札のいちばん上のカードをめくるときに、二枚めくる。そうすると、上から二番目に入っている、選んでもらったカードが出てくるという寸法だ。そのあと、めくったカードを元に戻して、いちばん上のカードをもう一度、今度は正真正銘山札の真ん中に入れる。これは関係ないカードなので、フェイクなしで入れていい。この状態でいちばん上のカードを一枚だけめくると、また選んでもらったカードが出てくる。何度山札の真ん中に戻してもそのカードがいちばん上に戻ってくるように見えるのだ。これならできそう、と言うフロイド先輩は意外と手先が器用で、あっさりとこのマジックをマスターしてしまった。トランプをぶちまけたわたしの立つ瀬がない。
「すごい、タネがわかってても見えないです、フロイド先輩」
「やったー、帰ったらジェイドに見せよーっと。こういうのってほかにもねーの?」
「ネットで調べたらいろいろあると思いますよ」
フロイド先輩のスマホでトランプを使ったマジックを調べて、ああでもないこうでもないと言いながら練習した。フロイド先輩が唐突に「飽きた」と言い出したころにはかなりの種類のマジックをマスターしており、気分にによって集中力にムラがあるとはいえ、やっぱりすごい人なのだな、と思う。じゃあそろそろお菓子を食べましょうか、と用意していたお菓子を取り出した。作ったのはマドレーヌだ。貝殻の形をしていてオクタヴィネル寮っぽかったのと、万が一持って帰ってもらうことになったとき、ある程度日持ちするほうがいいと思って、ケーキやタルトなどは避けた。
「いまさらですけど、フロイド先輩は甘いものお好きですか?」
「甘すぎなければへーきぃ」
「ならよかったです」
味はプレーンと、チョコと、レモンがある。フロイド先輩は飽き性だからいろんな味があれば、と思ったのだけども、残念ながら材料費と時間が足りなくてこれが限界だった。
「紅茶も持ってきたんです」
こちらの世界の魔法瓶は、その名のとおり魔法がかかっている。魔法で中身の温度が変わらないようにできており、元いた世界にあったものよりも圧倒的に性能がいい。しかも性能のわりに安価。一晩放置した程度ではまったくぬるくならなくて、はじめて見たときは本当に驚いたし、わたしの反応にエースたちのほうが驚いていた。魔法が弱くなれば自分たちで追加でほどこすこともあるんだそうだ。昔の魔法瓶は魔法の強さに耐えられないものが多かったらしいが、最近魔法に耐性のある素材が開発されて耐久性が大幅に上がったんだとか。魔法と科学技術の結晶である。
この魔法瓶はトレイ先輩が貸してくれたものだ。トレイ先輩はお菓子づくりが上手なだけではなく、そのお菓子に合う紅茶を選ぶのも得意で、魔法瓶ごと持たせてくれた。この対応、もはや聖人の域なのでは?
「モストロ・ラウンジで出てくるものにはかなわないかもしれないですけど、これもきっとおいしいですよ」
なんといってもトレイ先輩がお手伝いしてくれたものなので。わたしはお菓子づくりにはこれまでとんと縁がなく、材料の混ぜ方ひとつとってもよくわからなかった。とりあえずそれっぽく、でやろうとして、トレイ先輩に延々ダメ出しをくらってしまった。やっぱりお菓子づくりには並々ならぬこだわりがあるらしいトレイ先輩にお菓子づくりに求められる繊細さを説かれ、マドレーヌが完成するころにはわたしはすっかり疲弊していた。機会があればもう一回くらいは作ってもいいかもしれないが、身についた技術が無駄になるのがもったいないというだけで、自ら進んで作りたいとはあまり思えなかった。わたしにお菓子づくりは向いていない。
フロイド先輩の口は大きくて、マドレーヌを一口でぱくりと食べてしまう。チョコ味のマドレーヌはちょっとフロイド先輩には甘すぎたようで、これはアズール先輩とジェイド先輩に持って帰ってもらうことにした。ひとつ誤算だったのはフロイド先輩が猫舌だったことだ。フロイド先輩たちの故郷はものすごく寒い場所で、しかも水の中なものだから、あまり熱いものに触れる機会がなかったらしい。紅茶を魔法瓶に入れてきたのが裏目に出てしまった。なんとか冷まそうとしてふーふーしていると、フロイド先輩がこちらをじっと見つめていた。
「どうしたんですか」
「なにしてんの」
「えっと、冷まそうと思ったんですが……」
あっ、もしかしてわたしの息なんて吹きかけてほしくなかったですか!? と思っていると、「あー、小エビちゃん魔法使えないんだった」と言ってフロイド先輩がマジカルペンを振った。空中に小さな氷が現れてぽちゃんぽちゃんとコップの中に落ちる。おお……魔法って便利。
「やりかたが原始的すぎっしょ~。びっくりしたぁ」
「あはは、紅茶どうぞ」
学園長から一応マジカルペンの支給を受けているが、はまっている石は魔法石ではないらしい(魔法石はそこそこ高価なので、わざわざ魔法が使えないわたしに用意するのはもったいない、ということだ)。区別がつかないから、わたしにとってはどちらにしろ結局ただの万年筆だ。元いた世界では万年筆なんて使ったことがなかったからこれにも慣れるまでは苦労した。あのエースですらはじめから万年筆を使いこなしているのは違和感しかなく、馬鹿にされるのも納得がいかなかったのを思い出す。
「そーいやさ、小エビちゃんの故郷ってどんなとこ?」
「え?」
「魔法が使えない人間しかいないって聞いたけど、それってどんな感じ?」
唐突な問いかけにうーんと腕を組む。ここ最近故郷の話をした覚えはないのだが、フロイド先輩は一体誰からその話聞いたんだろう。ああ、エースか。たしか部活が同じなんだよね。エースは口が軽いからなあ、気をつけないと。
「魔法がないからってべつに不便はしてませんよ。スマホもテレビもあるし、そんなに変わりません」
「ふぅん」
そう。最初こそ魔法という存在に驚きはしたものの、魔法があること以外はわたしが元いた世界とほとんどなにも変わりがない。それがものすごく不思議なのだけれど、わたしがこうしてなじめているのもそのおかげといえるのでなにも言うまい。学生は勉強をするし、馬鹿もやるし、喧嘩だってする。そこにも大した違いはなかった。
「フロイド先輩の故郷にも、魔法が使えない人はいるんでしょう?」
「いるよ~。ミドルスクールんときつるんでたやつにもいたしさ」
だいたいふたつに分かれるね。魔法が使えないことを気にするやつと、気にしないやつ、と言うフロイド先輩。マドレーヌがまたフロイド先輩の口に吸い込まれていった。まあそうだろうなあ、と思う。魔法を使う側だって、魔法が使えない側にいろいろ言ってくるし、結局お互いの存在を強く意識しているのだ。魔法が使えることも、魔法が使えないことも、お互いにとっては自分と違うことだから。まあわたしの場合は本来魔法が使える人間しかいないはずの場所にいるのが異常なので、それもしかたがないのだけれども。だっておかしいもんね。魔法使えないくせに魔法の授業受けてどうするんだっていう。それはわたしもめちゃくちゃ思う。飛行術はもちろん見学だし、実践魔法の授業もそう。だから授業中にふざけたクラスメイトに魔法の的にされることもあるし、それに怒ったエースとデュースとグリムが騒ぎを起こしてみんなまとめて叱られることもある。三人とも、怒ってくれるのはうれしいんだけど、もうちょっと穏便にことを済ませてほしいものだ。
マドレーヌをわたしもひとつ失敬する。きちんと味見をしたのでおいしいことは知っている。一応トレイ先輩から及第点をいただいているので、そこの心配はしていなかった。ちなみにちょっと型から外すのに失敗したので、見た目に関しては落第を告げられている。魔法瓶のコップを指して一口いただいていいですか、と問うと、いいよ~とあっさり許可される。意外なほど静かな時間が流れていた。食事中はさすがにそうか。フロイド先輩とおしゃべりなんかできないだろうと思っていたが、フロイド先輩はぽつりぽつりと質問を投げかけてくる。回答するとまた質問が飛んできて、わたしもたまに質問を投げる。これは立派なおしゃべりなのでは!? わたしはあのフロイド・リーチ先輩とおしゃべりをしている!
なんとなく高揚感を覚えていたら、フロイド先輩が急に立ち上がった。大きく伸びをしたフロイド先輩は、「運動しよー」と言った。運動ですか。
「食べたら適度な運動ってアズールもよく言ってるし」
「フロイド先輩けっこう食べてましたもんね。運動するのはいいことだと思います」
「オレが鬼やるからぁ、小エビちゃん逃げてよ」
「えっ!? お、鬼ごっこですか」
「鏡通るのはナシだからね。いーち、にーい」
「うそでしょ!? 急すぎません!? せめて二十秒ください!」
言っているあいだに走り出す。うしろから「しょうがないなあ」という声がかすかに聞こえたので、二十秒を勝ち取ったと思いたかった。鏡を通ってはいけない、ということは校舎内でということだろう。もし鏡を通ってもいいなら真っ先にハーツラビュル寮の薔薇の迷路に逃げ込むのだが(なんでもない日のパーティーに招待されること数回、まだまだ迷子になるが、それでも隠れるにはうってつけの場所だ)、先手を封じられてしまった。正直フロイド先輩の身体能力には絶対かなわないので、これは鬼ごっこというよりかくれんぼとして扱うべきゲームだった。ナイトレイブンカレッジの校舎は広いから、隠れられそうな場所はいくらでもある。なんなんだこれ、ホラーゲームか?
教室とか図書室とか、そういう場所は見つかったときのことを考えると逃げ込む場所としては不適当だ。図書室は遊び場にすると司書さんに怒られてしまうし、教室は狭いから追いつかれたら逃げられない。わたしが向かうべきは、もっとこう、生徒が普段入らないような場所であるべきだ。
「サムさん助けて!」
叫びながら購買部に入ってきたわたしを、サムさんは驚いた顔で出迎えた。そりゃそうだ、無理言ってシフトを外してもらったのはわたしも同じである。用事があるからとシフトを外したはずの従業員がその時間帯に入ってきたらびっくりだろう。その場にたまたま居合わせたラギー先輩もびっくりして耳をぴんと立てている。休日にもレオナ先輩のおつかいですか、大変ですねと労わっている余裕もわたしにはない。
「ど、どうしたんスか急に」
「フロイド先輩と鬼ごっこしてるんです!」
「は!? アンタまじでやってるんスか!?」
やりたくてやっているわけではない。ラギー先輩が縁起でもないことを言ったせいだ。サムさんはいろいろと察したのかわたしをバックヤードに促した。ありがとうございますサムさん。明日から死ぬ気で働きますので、クビにはしないでください。お願いします。
「それで、いつまで逃げ切ったら勝ちになるんスか?」
ラギー先輩にそう問われて、あれそういえば決めてないな、と思って背筋が凍った。
「え、ラギー先輩、フロイド先輩の連絡先とか知らないですか」
「なーに言ってんスか、オレが知るわけないでしょ。アズールくんとジェイドくんぐらいじゃないスか?」
「そうですよねえ~」
せめて連絡先を交換していれば。いや、わたしはそもそもスマホを持っていないんだった。じゃあわたしはどうやってこの鬼ごっこを終わらせればいいんだ? フロイド先輩に捕まるしかないってこと? 時間決めずにはじめた時点で負け確ってことじゃん。そんなのってない。
購買部の時計を見ると、時刻は十六時。最近はだいぶ日が短くなってきているから、十七時くらいには暗くなりはじめるだろう。グリムは原始的なリズムで生活しているので、日が沈むと夕飯を要求する。お金をわたしが管理している以上、食料の調達は基本的にわたしの仕事だ。わたしはグリムが飢えないように(というか、わたしがいないあいだに腹を空かせて変なものを食べたり、余計にツナ缶を消費したりしないように)、夕飯の時間までには寮に戻る必要がある。
ラギー先輩は無慈悲にも「レオナさんがお腹空かせて待ってるんで~」とわたしを置いて去ってしまった。お金のないわたしは一時間千マドルの男を引き留めるすべを持たない。所詮世の中は金である。サムさんは大人なので、ほんのすこし呆れた様子をにじませながら、べつにいてくれてもいいけど、日が暮れたら帰るんだよと声をかけて店番に戻った。サムさんにとってはこんなの子どもの遊びだろうがわたしは真剣だ。
考えろ。果たしてここにいるのが本当に最善策なのか?
「……あれ?」
そういえば、オンボロ寮に帰るのってべつに鏡を通る必要なくない? そうじゃん。ちょっと道はでこぼこしてるし時間もかかるけど、オンボロ寮へは徒歩で毎日帰っているんだった。ということは、オンボロ寮にこっそり帰ってしまっても、フロイド先輩の「鏡通るのはナシ」というルールには抵触しない。これはもしかして天才的ひらめきなのではないか。しばらくはここに身を隠して、日が傾いてきたらオンボロ寮に戻ろう。それで、グリムにお願いして、フロイド先輩に鬼ごっこ終わらせてくださいって伝えてもらおう。やってくれるかわかんないけど。改めてスマホがないことの不便さを痛感する。なぜこっちに来るときに持ってこられなかったんだろう。どのくらい時間がかかるかわからないけど、お金貯めて買おうかな。ケイト先輩に一回相談してみるのもありだろうか。安いお店を知ってるっていうし。
「サムさん、わたしもうそろそろ出ますね」
バックヤードからこっそりサムさんに声をかける。
「もういいのかい?」
「一旦寮に戻ります。ご迷惑をおかけしました」
「楽しそうでなによりだよ」
いやなんも楽しくはないんだが? 相手がサムさんだったので、喉まで出かかった言葉を飲み込み、愛想笑いでごまかした。
もう日が傾きはじめている。わたしは周囲をきょろきょろと見回す不審な挙動をしながらオンボロ寮を目指した。体格のいい生徒を見ると一瞬ドキッとする。だいたいはサバナクロー寮生だった。今だけでいいから全員縮んでくれ。「監督生、なにか探してるのか?」とジャックに後ろから話しかけられたときは思わず悲鳴をあげてしまった。うるせえな、と言うジャックも驚いたのか、大きな耳が後ろに傾いている。舌打ちでもしそうな勢いだ。こっちだって文句が言いたいのだが、びっくりしすぎて言葉が出てこない。身振り手振りだけがむなしく空を切り、ジャックにおい落ち着けとなだめられた。
「フロイド先輩と鬼ごっこ? なにやってんだお前は」
ジャックの正論パンチが上から降ってきて、わたしはぐううと唸った。みんなしてわたしをいじめないでほしい。だってあんなの回避不可能じゃないか。
「そうだ、ジャックは体大きいんだし、わたしの姿を隠しながら移動できるんじゃ?」
「それだと余計目立つけどいいのか?」
「よくないです……」
「お前ちょっとおかしいぞ」
冷静になれ、と肩を叩かれる。ジャックは今から図書室で課題のための本を探すらしく、わたしの遊びには付き合えないときっぱり断られた。だから遊びじゃないっていうのに。
ジャックと別れ、鏡舎までやってきた。ほかの寮生たちは鏡を通って自分たちの寮に帰っていくが、わたしとグリムはこの場所を通り抜けて外に出て、なんにもない道を歩いて帰る。廃墟じみた場所へ続くこの道は、かろうじて舗装はされているものの、人の手が入ったのはずいぶん前だろうと感じられるありさまだった。はじめてオンボロ寮に案内されたとき、ごろごろころがっている石に何度もつまずいたのはいい思い出だ。まずはオンボロ寮が最優先だけど、この道もいつかなんとかしたいものである。
そういえば、ケイト先輩に送ってもらったけーくんの映え☆NRCホットスポット(原文ママ)に、この道が入っていたことを思い出した。特定の場所、時間帯において、いい景色が見られるんだと書いてあって、こんなのどこにあるんだろうね、とグリムと首をかしげていた。ケイト先輩には申し訳ないが、正直わたしには映えの概念がよくわからず、わたしがわからないのにフロイド先輩に理解してもらえるとも思えなかったので、ホットスポット巡りはプランから結局外したのだった。だいたいほとんどハーツラビュル寮の中だったし(そりゃそうか)、フロイド先輩とハーツラビュル寮に遊びに行くのも変だ。それをやったら絶対リドル寮長に首をはねられてしまうだろう。
「小エビちゃんみーーーーっけ!」
ぐん、と上に引き上げられる感覚がして、足が地面から離れた。にわかには現実を理解できず、「おへ!?」という謎の音が口から飛び出る。背後を振り返ると、鬼ことフロイド先輩がにや~っと笑っていた。
「ふふふふふふフロイド先輩!?」
「アハハ、すげえ顔」
わたしはどうやらフロイド先輩に持ち上げられているようだった。視線がものすごく高い。二メートルまであと十センチもないフロイド先輩に持ち上げてもらえば、図書室の棚のいちばん上の段でもらくらく本がとれそうだ。いやそこまでするならフロイド先輩が直接とってくれるのがいちばん楽だが。
「オレさあ、気づいちゃったんだよねえ。オンボロ寮って鏡通らなくても行けるって」
フロイド先輩はわたしが絶対にこの道を通ると思い、ここで待ち伏せをしていたらしい。オレって天才じゃな~い? とわたしをたかいたかいするように上下に揺らしながら上機嫌な様子だ。わたしは今にも吐きそうである。そうですよね、わたしごときが考えつくことをフロイド先輩が考えつかないわけがないですよね。調子に乗って申し訳ございませんでした。
「小エビちゃんぜんぜん来ねえからさぁ~もうちょっとで寮に帰るとこだった」
まさかあのまま購買部で身を潜めているのが最善策だったとは。ため息も出ない。
「じゃあ、小エビちゃんには罰ゲームね~」
「罰ゲーム!? そんなんあるなら最初に言っといてくださいよ!」
「え~~、こういうのには罰ゲームがつきもんじゃん。小エビちゃんはどうされたい? 絞めてあげよっか?」
「なんにもされたくないですが!?」
へたに暴れたら落とされそうな状況だったが、もはや落としてくれたほうがまだましのような気がして手足を振り回して暴れた。フロイド先輩の腕はそんなことではびくともしなかった。「小エビちゃんオージョーギワわる~い!」と楽しそうに笑っている。お願いだから絞めないで! と恥も外聞もなく叫ぼうとしたわたしだったが、視界に入ってきた景色の衝撃によってそのすべてが吹き飛び、かわりに「あー!」と五割増しの音量で叫んだ。フロイド先輩が「小エビちゃんうるさっ」と顔をしかめる。
「フロイド先輩、あれ! あれ見てください!」
わたしが指さす先には一本の木が立っていた。太くて大きい木だったが、幹がふたつに分かれていて、それが複雑怪奇に折れ曲がってハートを形作っていた。それだけでもかなりめずらしい木だといえたが、そのハートの中心にいま、夕日が沈もうとしている。なるほど、特定の時間帯、場所において見られるという、いい景色に違いなかった。
「スゲーーーーー! ハートじゃん!?」フロイド先輩はわたしを持ち上げたまま歓喜の声をあげた。
「あれけーくんの映え☆NRCホットスポットですよ!」
「なにそれ!? なんかよくわかんねーけどスゲー!」
「フロイド先輩写真撮りましょう! スマホ持ってますか!?」
わたしとフロイド先輩は鬼ごっこをしていたことをすっかり忘れてはしゃぎ倒し、ハート型の木とそのまんなかに沈む夕日をスマホで写真に収めた。小エビちゃんも一緒に写ったらと言われ、いやフロイド先輩が写ってくださいわたしが撮りますから、いや小エビちゃんが、先輩が、という押し問答の末ふたりで自撮りをすることになった。あとから振り返ると、いやなんで? としか思えない。このときのわたしとフロイド先輩はちょっとテンションがおかしかった。これも〝映え〟の力というやつなんだろうか。末恐ろしい力だ。
「スマホ落とさないように気をつけてください」
「ん~~~~、背景に夕日写すのむっず」
「もっと画面離さないと難しそうですね」
「小エビちゃん、もっとこっちきて」
フロイド先輩はわたしの肩をつかんで自分のほうにぎゅっと押しつけた。ひい、と声が出そうになったのを飲み込む。この至近距離で大声を出したら相当うるさいだろう。だれか我慢したわたしを褒めてくれ。フロイド先輩はそんなわたしの様子も気にせず、真剣な表情をしてスマホの画面を見つめている。
「首ももっとこっち傾けて~~、そーそー、そんな感じ」
カシャリ、と音がして、撮影されたことがわかった。フロイド先輩はスマホの画面を覗きこみ、小エビちゃん表情かたーい、と文句を言う。
「ま、いっか。小エビちゃんも写真いる?」
「ほしいです!」と即答したあと、スマホを持っていないことを思い出した。
「えー、小エビちゃんスマホもってないの? あ、そーだカニちゃんに送っとこ」
「カニちゃん?」
聞いたことがない名前が出てきて首をかしげているあいだに、フロイド先輩はそのカニちゃんとやらに写真を送信したようだ。フロイド先輩もアズール先輩やジェイド先輩以外の連絡先を知っているんだなあ、と感心してしまった。でも知らない人に勝手にわたしの顔写真を送るのはやめてほしい。まあもうすでに何度かケイト先輩のマジカメに映りこんでる身なのだが。
夕日が沈みかけている。そろそろ寮に戻らなければならなかった。
「あー、オレもいい加減戻らないとアズールがうるさそー。帰んのヤだなあ」
「あの、今日はありがとうございました」
フロイド先輩に頭を下げると、「けっこー楽しかったよ、またあそぼーねぇ」と笑って手をひらひらさせた。マドレーヌでアズール先輩のご機嫌がとれるといいのだが。
思いのほか楽しんでもらえたようでよかった。特にフロイド先輩の機嫌を損ねることもなく、まあまあ成功といって差し支えないだろう。わたしも意外と楽しかった。もしスマホを買った暁には、今日の写真を送ってもらおうと思う。フロイド先輩と別れたわたしは、機嫌よくスキップなんかをしながら、オンボロ寮への帰路についたのだった。
「アハハハハハハハ! あのフロイドくんと自撮りツーショット!? やばいめっちゃ見たい! 監督生ちゃんマジでさいっこーなんだけど!」
翌日、トレイ先輩とケイト先輩に改めてお礼を言いに行ったら、ケイト先輩に大声で笑い飛ばされた。トレイ先輩も苦笑いだった。いや、わたしも冷静になるとやばいなって思うんですけど、そんな笑います? フロイド先輩のマジカメアカウントには昨日の写真は投稿されていないらしい。モストロ・ラウンジが特別なキャンペーンでもしない限りは、ほとんど動きのないアカウントなんだそうだ。ちょっと安心した。
ちなみに、フロイド先輩のいうカニちゃんとはエースのことだったようで(バスケ部で連絡先を交換していたらしい。たぶんフロイド先輩なりにエースに送っとけばわたしが見るだろうと思ったのだろう)、「なんだよこれ!?」と問い詰められ最終的に怒られた。わたしは結局エースに怒られる運命にあるのだった。